経典の主要部分と開結を描き首尾を一貫させるとともに,『観経』以外の要素は見出されない。西福寺本では,大筋では同じ構成を採るものの,この序分,者闇分の二つの図像は描かれず,代わりに浄土図がはめ込まれている。そこには尊像の脇に短冊形に帯を設け,「無量倶肱菩薩」「他方来諸菩薩」「六大天王」「十六聖衆」「十大弟子」と尊格を示す銘文が入れられている。これら諸尊は『観経』には説かれない組み合わせであり,『観経』のみでは解釈できない(注10)。このほかに,画面には四つの新たな図像が付加されている。1,阿弥陀が往生者に授記を与える場面。「初生接引授記之慮」の銘文を伴う(注11)。2'阿弥陀が往生者に摩頂を行う場面。「初生接引摩頂之」の銘文を伴う。3'極楽浄土の辺地に往生する凡夫。「四疑凡夫邊地虞」の銘文を伴う。4,極楽浄土を称える大衆。「整聞大衆諸上善人讃頌」との銘文を伴う。以上の四つのうち,『観経』に説かれるのは1の授記のみであり,そのほかの図像については,何らかの別の出典が想定されよう。西福寺本では『観経』だけでは理解できない図像がかなり付加されている点に注意したい。隣松寺・知恩院本では,十六観以外の要素として,両端に「他方菩薩化生之池」「菩薩声聞化生池」が配される。化生という単語は『観経』には見いだされず,浄土三部経では『仏説無量寿経(以下『大経』と略称する)』にのみ見いだされる語である(注12)。しかし,この点を除けば,画面には十六観のみが忠実に描き込まれている(注13)。以上のように検討してみると,製作年代の最も遡る作例である長香寺・阿弥陀寺本グループでは,経の始まり,主要部,終わりをあまさず伝え,『観経』を逸脱する内容は全く見出されない。この点からも,両本が十六観変相図の原本に近い作例との考えは補強されよう。一方,高麗時代の三作例では,西福寺本の『観経』以外の要素の取り込みが顕著である。これは西福寺本が隣松寺・知恩院本グループのように,独自性を確立する以前の過渡期の作例であったためと捉えたい。それでは,過渡期に付加された要素は何を典拠としているのだろうか。現在管見に触れた限りではあるが,西福寺本の逸脱部分の出典について述べてみたい。まず3.「四疑凡夫邊地慮」の銘文を伴う箇所であるが〔図7〕,これは続く銘文(銘文対照表⑧)からも,『大経』に説く,功徳を積み極楽浄土に生まれたいとは願うものの,疑念を捨てられない人々の生まれる辺地を示すと考えられる(注14)。次に4.「磐聞大衆諸上善人讃頌」との銘文を伴う箇所であるが〔図8〕,これに続く銘文(銘文対照表R)-470-
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