鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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と題i記の横に記される銘文(銘文対照表c)は,ともに善導の『往生礼賛偶』,曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偽注』でも知られるが,出典は婆藪槃豆菩薩(世親)作の『無量寿経優婆提舎願生低(浄土論)』である(注15)。現時点では,西福寺本の十六観変相図の中に,『観経』に加えて上記の経や偶に説かれる極楽浄土のイメージが付加されていることを指摘できるのみであるが,これらが西福寺本の直接の出典なのかという問題も含め,高麗時代に浄土経典をめぐるどのような論疏が流布し,重要視されたかについては,今後も課題として考えていきたい。3'おわりに以上,図像の構成および画中の銘文の分析により,西福寺本が十六観変相図の原本に,高麗時代の阿弥陀信仰を加味して成立し,高麗独自の十六観変相図である隣松寺・知恩院本の図像へとつながる過渡期の作品であることを述べた。図像および銘文からは明らかに隣松寺・知恩院本を遡る成立と考えられるが,今後は高麗仏画の基準作例との様式検討によって,絵画様式の面からもこの説が裏付けられるかを検討していきたい。最後となったが,十六観変相図と共に伝えられる序分義図について,若干の私見を述べておく。高麗仏画の様式上の特色としては金泥の多用が挙げられ,特に着衣には金泥がふんだんに使用される。このたびの調査で実見した作例でもこの点は顕著であり,衣の文様および,ひだのいちいちに至るまで金泥が使用されていた。西福寺本十六観変相図もその例外ではないが〔図9〕,序分義図では,金泥文様は見受けられるものの,釈迦の袈裟の条相部分など使用面積がごく控えめで,衣のひだには,金泥線は全く認められなかった〔図10〕。また,金泥の上に箔足のように四角い痕が見え,肉眼の判断では金の上に銀を重ねたように見える箇所があり(楼閣の屋根など)珍しい技法として注目される。このような技法はこれまでHにしたことがないが,一般的に知られる高麗仏画の技法にも含まれない。さらに,白色顔料の頭光に,先端が火炎状になった淡い白群の身光を負う釈迦の光背の表現などは,高麗仏画というよりも,同時代の中国画が目指した表現により近いのではなかろうか。これらのみをもって西福寺本序分義図が中国画であると即決することはできないが,高麗画とするにはためらいを覚える。しかしながら,高麗仏画も時代,場所によってさまざまな様式が混在する。この点については作品の実見を積みながら,これからも考えを深めていきたい。-471-

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