から迎描図ヘ――—高麗·李朝観経変相図の展開菊竹淳一,井手誠之輔,朴銀卿「高麗時代仏教絵画の総合的研究」『青丘学術論集』第4集(財団法人韓国文化研究振興財団,1994年3月)225頁。序分義図の製作を高麗時代または南宋時代とする最近の論稿は以下の通りである。梶谷亮治『東アジアの仏たち』図版解説(奈良国立博物館展覧会図録,1996年4月)272頁。序分義図の製作を元時代とする最近の論稿は以下の通りである。執筆者不詳『西福寺宝物展』図版解説(敦賀市立博物館展覧会図録,1996年3月)23頁。(8) 洪潤植「高麗仏画の形式と様式分類」『「日韓両国に所在する韓国仏教美術の共同調査研究」研究成果報告書』(奈良国立博物館,1993年3月)および,梶谷亮治『東アジアの仏たち』前掲図版解説を参照。(9) この場面の解釈について,中島博氏は二つとも序分としている。中島博『東アジアの仏たち』図版解説,前掲図録,265頁を参照。また河原由雄氏は,筆者が者闇分とした場面を,阿難が者閣堀山に帰りこの旨を大衆に復説した場面とし,筆者と同じ見解をとるが,これに化前序の述語を充てている。河原由雄「浄土曼荼羅仏教美術の共同調査研究」研究成果報告書』(奈良国立博物館,1993年3月)48頁を参照。(10) 洪潤植氏は,これらの銘文に記される諸尊すべてが『仏説無量痔経』所説であり,この浄土図を極楽浄土の情景と理解する。洪潤植「高麗仏画の形式と様式分類」前掲報告書,38■39頁を参照。尚,筆者は残念ながら未見であるが,洪氏には以下の論がある。「西福寺の十六観変相」『高麗仏画の研究』(同和出版公社,1984年)。(11) 井手誠之輔氏は,高麗時代において,阿弥陀に授記を授けられることが阿弥陀信仰の重要なー側面であったことを指摘している。井手誠之輔,前掲論文「高麗の阿弥陀画像と普賢行願品」を参照。(12) 阿弥陀如来の極楽浄土について説く『大経』『観経』『仏説阿弥陀経(小経)』のいわゆる「浄土三部経」の語彙検索には,真宗学研究会編『浄土三部経索引』(永田文昌堂,平成2年8月第三刷)を使用した。(1$) 第九観の阿弥陀三導(画面中央)を囲饒する尊像構成にまで立ち入るならば,隣松寺本は八菩薩形と十比丘形が描かれており,『観経」では説かれない阿弥陀八大」『「日韓両国に所在する韓国--473-
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