摺絵本である。『絵本舞台扇』は扇面内に対面する形で役者の上半身を描いた似顔絵本で,枠外に役者名,俳名を記している。序文によると,井原西鶴の孫,東鶴が大坂に帰るにあたり,大坂の友人に江戸の歌舞伎の隆盛の様子を伝えるために,文調,春章に役者の舞台姿を描かせたとあるが,主に文調が女形の役者を,春章が荒事の役者を担当して描いている。また『青楼美人合』は,各葉に俳諧を載せ,遊女の絵を寄せた豪華な彩色摺本であり,明和末期の吉原に実在した遊女を総計167図に描き,『舞台扇』同様,左右の人物が対面する形式をとっている。ここに挙げた文調,春章,春信らは,各々明和期の浮世絵界を代表する絵師であるが,役者絵の世界では役者個々の特徴をとらえて描く「似顔絵」が持て囃されているのに対し,逆に美人画の世界では,春信に代表される類型的な美人画が人気を博していることは興味深い。歌舞伎界では芝居見物の手引きとして「役者評判記」などが愛好されていたが,遊里でもそれに相当する吉原遊びの手引書「遊女評判記」が出版されている。『舞台扇』と『青楼美人合』は,互いに豪華版「よりぬき評判記」ともいえる体裁で,それぞれ実在の役者や遊女の中からモデルを選出している。版元,刊行時期は異なるが,『舞台扇』と『青楼美人合』の刊行の背景には,歌舞伎の世界と吉原遊廓といった当時の二大遊興地からの揃っての発信が想像される。これらの彩色摺色絵本は当時の出版界にセンセーションを巻き起こした。『舞台扇』は,刊行後十ーカ月後には既に顔見世の顔触れに直した再版が刊行されており,以後版元を点々としながら多数の改章版が刊行されるロングセラーとなっている。また『青楼美人合』も伝存作品の現状から,数度以上に渡って版を重ね,広く一般に普及した状況が伝わってくる。上記の彩色摺本に先駆け,絵入の俳書「絵俳書」には早くから多色摺の技法が用いられている。多色摺の技術を用いた初期色摺絵俳書としては,宝暦6年(1756),貞左衛門江戸座俳人清水超波の十七回忌集として出版された『わかな』(注6)〔図5〕に所載の図の内,勝間龍水が描いた9図に5色前後の版彩が用いられている。さて,絵俳書における本格的な多色摺技術の導入は,勝間龍水が描いた次の2点の俳書に始まる。錦絵に見られるような,背景にまで色彩を施した複雑な色彩表現には至っていないが,宝暦12(1762)年に制作された『うみのさち』(注7)〔図6〕は,部分に雲母まで施した全編多色摺りの版本で,色鮮やかな多色摺技法の進展を示す記念的な作品である。さらに明和2(1765)年に刊行された『山の幸』(注8)にも,鮮-486-
元のページ ../index.html#497