5.おわりにを考え併せると,春信の没後に製作された可能性が高くなってくる(注11)。春信に関する数少ない伝記をつなぎ合わせると,没年は明和7年6月15日(一説に14日)と思われる。青年期に春信に師事した鈴木春重こと司馬江漢(1747■1818)が晩年に記した『春波楼筆記』(文化8日811〕年著)に「四十余りにして俄に病死ぬ」とあり,働き盛りの春信のにわかの死を伝えている。『春の錦』などは,一つの時代を代表する看板絵師の死没により一時的に大黒柱を失った出版界が,絵師の没後も衰えぬ春信人気にあやかって制作した可能性が高く,春信の芸術性を慕う町民文化の広がりの一端が見えてくる。彩色摺絵本として挙げてきた3種の絵本の中で,『絵本青楼美人合』と『絵本舞台扇』,そして『絵本春の錦』の特色を比較して考えてみよう。まず,形態の面から比較すると,『青楼美人合』及び『舞台扇』は共に美濃判とも称される大ぶりの判形で,色摺を施した豪華本であるのに対し,『春の錦』は春信の標準的な墨摺絵本と同じ小振りの半紙版である。また主題の面においても,特に「青楼美人合』が俳諧という特定の趣味を持つ需要者にアンテナが向けられているのと比べ,『春の錦』は和歌をベースにしながら,一般に馴染み深い四季の風俗に取材した明朗な構成がなされている。つまり『春の錦』は,序文からも伺えるように,春信作品,及び彩色摺絵本への需要に応えるもので,広く一般庶民に受け入れられるよう企画されたようである。『春の錦』の人気も上々であったようで,近年,ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館より『春の錦』の版木の一部が里帰りしたが(注12),奥付の版木の一部分が削られて,本来は「山崎金兵衛」とあるべき出版元の箇所が削除されている。つまり,初版を刊行した山崎金兵衛から版権を譲り受けた版元が,版元名を削り,新たに自分の名前を摺り入れるなどして刊行したのである。浮世絵界における初期彩色摺絵本として,歌舞伎界から『舞台扇』が,遊里から『青楼美人合』が,そして多様な当世風俗を盛り込んだ『春の錦』が半年おきに刊行されている。またそれらは奇しくも,明和期の浮世絵界において主題の中核をなす,歌舞伎,遊里,市井の風俗といった3つのテーマをそれぞれに担っているのである。親しみ易く身近な娯楽として成り立ってきた絵本作品は,主題が平易であること,あるいは色彩表現に乏しいことなどから,一個の美術作品として鑑賞され,或いは研-488-
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