鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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重視した。そこでは光が単に物理的存在としてではなく,人間の認識作用全般にかかわる存在として理解されており,その数量化,ならびに実験を通して光の実体を実証的に解明する方向が示されて,近代光学Opticに道を拓いた。リンカン大聖堂の平面プランは三廊式で,西正面と奥内陣を結ぶ東西軸に対して南北方向に張り出した大小二つの翼廊がある〔図2,3,平面図〕。これら二つの翼廊にはさまれた<聖ヒューの内陣〉の天井には,一見異様に見えるリブ・ヴォールトが架けられている。これを19世紀の建築家R.Willisは“crazyvault"と呼んで,その不調和,異形な様式を強調した〔図I,4〕。このヴォールトは,東西方向に走る単位ベイ当たりのリブの稜線を三等分し,この三分点に向って柱の起挟点からリブを架け,二本のリブが交互にその三分点まで到達するように工夫されている。これは通常北フランスのゴシック建築で見られる,厳格に左右対称性を重んじる形式とは異なり,対称を破った特異なリブである。建築史上こうした作例はリンカン以前には確認されておらず,12-13世紀全体を通じて,イギリスはもとより他の西洋諸国にも存在しなかった。リンカン大聖堂自体でも他の部位のヴォールトはいずれも左右対称に作られている〔図5-7〕。この“crazyvault"並びに同大聖堂建築に見られる特異性,二重アーケード,クロケット付き柱,十角形の参事会室〔図8-11〕について,すでに1992年の論考で基本事項は報告ずみである(注1)。拙稿において,私はそれが単に気を衛って創り出されたものではなしに,むしろ積極的に視覚効果をねらって工夫されたと考えた。そこには中世時代に特異な光学論Perspectivaとの関わりが推定され,司教グロステストの存在を間接的な形で浮かびあがらせた。この度現地へ赴いた際,聖堂の屋根裏に上がりヴォールト天井の上部からこの“crazyする文献資料を得た。キドソンによる新たな研究では以下の点が重要である(注2)。① 聖ヒューの時代に建てられた祭室は,六角形の形をしていたと推定。ノルウエーのトロンドハイム大聖堂の八角形の礼拝堂との類似に注目する。② く聖ヒューの内陣〉のヴォールトは,1237年の地震後の再建によって作られたものではなく,当初のかたちであったと考える。II. リンカン大聖堂“crazyvault" vault”を見ることができ〔図12,13〕,新しい視点からのP.Kidsonの研究をはじめと-498-

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