鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
538/747

みられるような,全体が光と大気のなかに融合することを目指して使われたものではない。むしろ,濃墨で描かれた木々やモチーフの周囲にただよう光や大気の輝きを表現するものである。このような表現の背後には,形のない光や大気を印象的に表現しようとする態度があるように思う。次に,雪村の澄墨の技法を使った大画面作品に目を移してみる。本図は,藁筆をつかい,連なる山々や土波,岩のほとんどを没骨で描き,濃淡の彙しと擦筆の披麻跛で凹凸,明暗をつけている。樹木や点苔には濃墨をつかっている。上空,水面,および雪村の得意とする奇怪な山塊の周辺に,金泥と黄土を塗っているが,この金泥と黄土が,塗り残しや墨の最し,墨のコントラストとともに,全体にみちるリズミカルな光のきらめきと大気の潤いを効果的に引きだしている。金泥の使用には,正木美術館所蔵の「灌湘八景図巻」にはない装飾性が感じられるが,ともに画面全体に光がみちている印象をつよく与える点は同じである。硬い画風のおおい等春の作品のなかでは,玉澗風の撥墨法をつかった草々とした作品である。8幅が伝わるが,うち遠浦帰帆,漁村夕照,煙寺晩鐘の3幅は,墨の最しかたが違ったり,濃墨が極端につよいなど,用墨法の点で他の5幅と相違し,別の画家が描いたと考えられる。また,山市晴嵐の1幅も,樹林や土破の処理があいまいで,家屋の表現も鋭さにかけるため,別の描き手を想定すべきかもしれない。ここでは,のこりの4幅の表現技法をみてみる。いずれも,4種類ぐらいの濃さの墨をつかって,山や土域を大胆な筆致で描いている。墨の変化は微妙で,濃墨も,屋根の輪郭線にわずかに使われているにすぎない。雪村作品にみられるような,墨のつよいコントラストや光の輝きはなく,大気のなかに各モチーフが融合していくような,ドラマティックな表現となっている。この点から,本図が,玉澗の撥墨法に範をとって,象徴的,印象的に濤湘の景観を表現するだけでなく,光や大気をリアルに表現する牧硲,相阿弥の画風も理解したうえに成立していることが認められる。時のながれとともに変わる光と大気の表現技法をとおして,室町時代の灌湘八景図が,日本へ早期に輸入された中国の牧鉛,玉澗の灌湘八景図を,どのように取捨選択しながら受容し,展開したかについてみてみた。牧硲の,現実的な態度で光や大気を雪村筆「灌湘八景図」6曲1双岡山県立美術館所蔵等春筆「灌湘八景図」8幅正木美術館所蔵-527-

元のページ  ../index.html#538

このブックを見る