鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
547/747

⑫ 日本近代美術における道化像と三岸好太郎の作品について研究者:北海道立三岸好太郎美術館学芸員苫名直子西欧の道化のイメージは,現在日本人に広く受け入れられている。しかし,それがいつごろどのように日本に伝わり,浸透してきたかについては,あまり詳細な研究がなされていない。この論稿では,明治から昭和戦前期を対象に,主に美術の側面からこの課題を考察し,あわせて昭和初期に道化をテーマとした作品を集中して制作した画家・三岸好太郎(明治36〜昭和9)の仕事の意義を検討したい。「道化」という言葉の示すものは,かなり広範にわたる。あらゆる規範から自由で,時にはハメを外して笑いをふりまき,時には世間の常識を覆し,また深いペーソスに沈み,人間の生命力の根源に働きかけるキャラクター。それは,合理性を善しとする日常に,異なる要素を導入してバランスをとろうとする人間の根本的な性質に由米する役柄であり,全世界のどの時代にも存在するといえよう。ここでは,その道化をやや狭い意味の系譜と表現の歴史を概観する。道化の意味合いを持つものは,すでに古代ローマに祭の期間だけ支配権を持ち愚行を尽くす「偽王(モック・キング)」として存在していた。中世の教会には日常の宗教慣習を覆す「愚者の饗宴」に道化役の僧侶がおり,宮廷には宮廷道化(ジェスター)かいて毒舌で王を風刺した。近代に入ると,16■17世紀イタリアの即興喜劇コメディア・デラルテや,シェークスピアの演劇などに道化役が活躍する。コメディア・デラルテでは,アルルカンとかペドロリーノ(ピエロ)といった道化の役柄が定着して演じられ,のちに引き継がれていった。ピエロについては,19世紀前半にパリ下町の劇場でパントマイムの役者として活躍したジャン・ガスパール・ドゥビュローがその扮装や性格を洗練し,白塗りの顔に,つばのないキャップとだぶだぶの白い衣装の,まぬけで哀愁を帯びたロマンチストとして,大いに人気を博した。他方,18世紀後半に近代サーカスが誕生し,観客が退屈することのないように演技の間をつなぐものとして,クラウンとよばれる道化役が導入された(日本ではサーカスの道化をピエロとよぶことが多いが,サーカス道化については正しくはクラウンでI 西欧における道化すなわち西欧において現われ発展してきたものに限って考え,まずそ-536-

元のページ  ../index.html#547

このブックを見る