ある)。クラウンは,下町の劇場で人気のあったピエロなどのキャラクターを自らの扮装や芸に取り込んでいった。さらに19世紀後半のサーカスには,オーギュストという粗野な性格の道化も登場し,従来のクラウン(白い道化師とよばれるようになる)とコンビで活躍するようになる。こうした道化たちは,いつの時代にも芸術家たちの関心を呼んだ。美術においては,古くから木版画等に多く表され,17世紀にはジャック・カロがユニークな道化踊りを記録し,18世紀にはワトーが貴族たちの典雅な情景の中に道化たちを描いている。しかし,とりわけこの主題が芸術家たちの間で意識的に取り上げられるようになったのは,19世紀以降である。まずヴェルレーヌやラフォルグやボードレールといった文学者(詩人)たちが道化に注目し,しだいに画家たちを巻き込んでいった。ドーミェ,ルノワール,セザンヌ,ロートレック,ピカソ,ルオー,クレー,シャガール,アンソールら多くの画家たちが,道化の性格から派生した様々な意味を反映させて多様な道化像を描いた。道化はその特異な外見が造形的魅力であったと同時に,ヒューマニティ,夢,自由,風刺,哀愁,苦難,死,そして時には神の象徴ともなり,絵画の表現を深めた。そして注目すべきことは,幾人もの画家たちが道化に強い共感を抱き,さらには道化に画家自身を重ねてみるに至ったことである。ピカソはアルルカンのコスチュームを着た自分を画面に登場させているし,またキュビスム・スタイルによる道化の単独像などにその時々の自己の状況を映し出してもいる。ルオーは道化としての自画像を追求し続けることで,人類の悲哀と救済という宗教的感情の表現にまで到達した。画家の人生観の中に,このような道化が時に究極と言っていいほどの意味を担うようになったことがわかる。その背景は複雑であるが,急速に近代化する社会にあって自己の新たなアイデンテイティーを模索した画家が,現実に発展し続ける合理的文明社会への反省を含んで,その対極にあるような性質のものを求めていったことが考えられる。その意味で芸術家たちは,あらゆる矛盾を取り込んで合理性に挑戦するような道化のキャラクターと,自已同一化するほど心理的きずなを深めてきたのである(注1)。--537-
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