人形劇を学んで,大正末頃から昭和初期の日本では,人形劇の活動が大きな盛り上がりを見せ,人形劇専門の者の他に演劇関係者,画家,文学者などがこれに広く参加した。「人形座」,「テアトル・マリオネット」,「テアトル・クララ」,「プーク」,「トンボ座」などの人形劇団が東京,大阪を中心に誕生している。人形座は大正15年(1926)に「パンチとジュディ」を上演し,他にも道化的な内容を含む人形劇が多く上演された(注12)。当時の大衆にとって欧米の生活や文化に手軽に触れる手段といえば,映画である。第一次大戦末期頃(大正中期)から質の高いアメリカ映画が大量に輸入・上映されるようになり,リアルな情報が急速に入ってきた。道化の関わりで見れば,大正8年(1919)頃から昭和初期にかけほぼ毎年,アメリカのサーカスを題材とした映画が日本で公開されている。1年のうちに複数公開された年も多く,例えば大正10年(1921)には「サーカス王」,「曲馬団の女J,「曲馬団の処女J,「曲馬団の名花」が上映されている。これらには,おそらく脇役であろうが,実際のサーカス・クラウンたちの姿が映っていたと思われる。アメリカ映画だけでも日本で公開されたサーカス映画は相当な数であり(大正8〜昭和11年の18年間に24作を確認),サーカス以外のテーマで道化と関わる映画も入れれば,さらに数は増えよう。またアメリカ以外の映画では,大正14年(1925)にフランス映画の「嘆きのピエロ」が日本で公開されたが,他にもありそうである(注画家たちにとって最も直接的な刺激となる西欧絵画の情報はどうだったのであろうか。西欧の絵画を紹介する展覧会は大正10年(1921)頃から毎年組織され,団体展の特別陳列なども含め,多数の実作が日本で展示されている。その中で道化に関わるものとしては,大正12年(1923)にピカソの石版画く旅芸人〉が,大正15年(1926)にはルオーのく道化〉が招来され,展示された(注13)。また昭和2年(1927)にシャガールのく曲芸〉,シモンのく曲馬場〉,ヴァルフォロミエヴッチのく喜劇役者〉,昭和3年(1928)にシャガールのく軽業〉,ロートのくアルルカン〉といった作品も紹介されている(注14)。実作の展示のほかに図版や評論による紹介も行われており,ピカソの作品では道化の衣装を着た<少年〉,<道化役者〉の図版が大正14年,昭和2年(1925,27)に美術6 外国映画13)。7 西欧の絵画の情報-540-
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