鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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2 明治末〜大正中期明治末期には,文学に始まる新しい動きや文学者と画家の密接な交流を反映して,道化を主要なモチーフとした図像が現れる。パンの会の主要メンバーであった画家・石井柏亭は,明治42年(1909),雑誌『方寸』にバーケリイ・スミスの『如何に巴里において遊楽するか』の一部(道化が登場する部分)を翻訳して掲載し,そこに道化の顔の挿画を載せている〔図5〕(注19)。これが日本の画家による道化の最初のクローズアップであった。実は,正確にはこの絵が石井柏亭の筆になるものか,原著にあったものをそのまま掲載したものかは不明なのだが,描かれているのは扮装からするとピエロである。その2年後,画家ではないが,北原白秋が自ら装丁した詩集『思ひ出』(東雲堂書店明治44年)の口絵にピエロを登場させている〔図6〕。この2つのピエロは,標元から上部を描いた点,かぶりもの,衣服のひだやボタンの位置等が大変よく似ており,おそらく白秋が柏亭の図を参照して描いたものと思われる。しかし印象はかなり異り,柏亭の方が淡々と写実風であるのに対して,白秋の方はしわがなくて若々しく,大きく寄せた眉に哀愁を漂わせている。すでにここに白秋が表現しようとした日本的道化の性質をうかがい知ることができるのである。他に,やはりパンの会関係者で『方寸』同人であった山本鼎が,ピエロの扮装をした人物を木版画としている〔図7〕。その後,恩地孝四郎〔図8〕,竹久夢二,村山愧多〔図9〕,小柳正〔図10〕,川上澄生等により道化像が描かれた。またこれ以外に,大正中期以降,一般向・子供向の小説や詩や童話に寄せられたイラストなどで竹久夢二〔図11〕,初山滋,武井武雄,村山知義,岡本帰ー,川上四郎,岡田七蔵,他作者不詳の多くの道化像が見られた。これらを見ると,グラフィック,版画関係の画家が目立つ。まず文学において道化のキャラクターヘの興味が起こり,表現されたことを考えると,文学に最もよく結び付くこの分野にまずその図像が現れたのは自然なことであろう。グラフィックの重要な要素である視覚的効果の上でも,扮装に特徴のある道化は最適のモチーフである。そして逆に言えば,道化はその頃の日本ではまだ本格的油彩画(タブロー)のテーマとしては考えにくかったようである。しかし,徐々に油彩による作品も現れる。その最初のものは,大正10年(1921)頃の小柳正のくサーカスの家族〉〔図10〕と推定される。滞仏中の作で,ややピカソ風ながら,細く伸ばされた素朴な人物描写や淡い色彩で繊細な詩情を漂わせている。また-542-

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