油彩ではないが,異色なのは村山愧多の作品である〔図9〕。彼は特異な画風を築きながら,洋行の機もなく夭折したが,自己の心情を書き綴ったノートに描入れられた道化の素描は,自身の焦燥を道化のポーズに暗示しているかのようである。大正末頃からは,より多くの様々な道化像が描かれるようになる。グラフィックの分野でも,引き続き多く取り上げられた。子供向けのイラストでは,画面にファンタジーをもたらす魅力的なキャラクターとなった(注20)。また一般向けの漫画で,遅くとも昭和初期には,道化が政治や杜会風刺漫画に現れていることもわかった。権力に取り入ろうとおべっかを使う政治家,杜会に翻弄されて過激な行動に出たり,疲れ切って悲劇的な表情を浮かべる者など,扮装は道化とは異なりながらも,「道化」や「ピェロ」といったタイトルがつけられていた例もあった(注21)。大衆を対象とした漫画において道化がこのように描かれていたことは,やはり日本人一般に「哀れな道化」イメージが支配的だったことを裏付けている。しかし,油彩画の分野では少し状況が異なっている。大正末から昭和戦前期にかけては,油彩でも数々の道化像が現れた。清水登之〔図12〕,東郷青児〔図13〕,川島理一郎,藤田嗣治,川口軌外,佐分真〔図14〕,伊藤廉〔図15〕,佐藤敬〔図16〕,矢橋六郎〔図17〕,鳥海青児,鳥居敏,荒井龍男,そしてサーカスや道化のテーマで多くの作品を描いた林重義〔図18,19〕らが挙げられる。特徴的なのは,ここに挙げた者はすべて洋行画家であり,ほとんどが滞欧作ということである。彼らの場合,実際に欧米の道化を見て,また欧米の画家たちが道化を重視しているのに刺激をうけてのものであろう。そのためか作風はしばしば記録的な具体性を帯び,あるいは同時代の欧米の画家のスタイルに近い。したがって単純に哀れな者といった日本の大衆的な解釈は差し控えられている。しかし,中には自已の心情を道化に託したと思われるものもあって,それが哀愁や悲劇的な表情を呈するのが見受けられた。そのような場合には,あるいは日本特有の道化解釈が頭をもたげているのかもしれない。しかし油彩による道化は,滞欧作ばかりではない。上記以外に三岸好太郎〔図20■23〕新海覚雄,中村規矩夫,岡本一平,桐田頼三,朝井閑右衛門〔図24〕,柳瀬正夢,藤井二郎,原勝四郎らが,道化や仮面をテーマとした油彩作品を日本において制作している。岡本は漫画の分野でも活躍し,彼の「恋の道化師」という漫画は,劇化・公演もされた。また三岸の友人であった鳥海青児は,むしろ帰国後に多くの道化の作品を描3 大正末〜昭和期-543_
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