鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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代の紺紙金字法華経に通例のものである。高伝寺本の料紙は厚みがあり,色むらがなく,金銀の発色も鮮やかで,良質の材料を用いている。本作品には奥書がなく,制作にまつわる史料も管見のかぎりでは見いだしえないため,制作年代や作者や願主などはわからない。伝米に関しては,高伝寺を菩提寺とする鍋島家第二代藩主の光茂(元禄13年=1700没)の寄付になることが『御寄附物帳』(注3)に記されている。2 高伝寺本の制作年代高伝寺本の制作年代を,見返に描かれた経意絵の画題と表現形式の二面から考えたい。まず画題についてみる。高伝寺本の見返には,釈迦説法図の周囲に法華経の内容つまり経意が絵画化されている(注4)。描かれる経意絵の画題の数は,1巻につき1図から4図で,これらのほとんどは,平安時代の八巻本紺紙金字法華経に共通している。平安時代の紺紙金字法華経見返絵に描かれる経意絵の画題選択は,初期には巻ごとの画題の数が一定せず,また,作品間で選ばれる画題が異なっていたのが,年代が降るにしたがって収倣され,12世紀には,1巻につきほぼ2,3の限定された画題が選ばれるようになる。高伝寺本の画題も,この定着した画題とほとんどが一致しているが,3図,他にはみられない図像がみいだせる。その一つは,巻第六に描かれる騎馬人物の図像である〔図3〕。画面上方の遠山の上に,頭巾を被って馬に乗り,飛雲をたなびかせて右方に飛び去る男性が小さく描かれている。この図像の典拠は,テキストである『法華経』巻第六の随喜功徳品第十八の中のつぎに挙げる下線部①の「乗天宮殿」(以下,画題の呼称は筆者が便宜上つけたものである)を描いたものであろう。すなわち,爾時世尊,欲重宣此義,而説偶言,若人於法会乃至於一偶(中略)①後生天人中珍宝之輩輿得聞是経典随喜為他説得妙象馬車及乗天宮殿(大正新修大蔵経巻第九)-564-

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