鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
576/747

第二,第三の新図像は,どちらも巻第八に描かれている。画面中央の説法する釈迦の真正面に,二人の武者が並んで背をみせて坐している図像が第二〔図4〕。その武者を取り囲むように,左右下方の土破ごしに居並ぶ角や牙を持つ異形の鬼たちを描く図像が第三である〔図5〕。このうち異形の鬼の図像は,つぎに挙げる観世音菩薩普門品第二十五の下線部②の「羅刹難」を,そして武者の図像については同じく普門品の下線部③の「怖畏退散」を描いたと考えられる。すなわち,爾時無尽意菩薩,以偶問曰,世諄妙相具仏子何因縁具足妙相尊(中略)②或遇悪羅刹念彼観音力(中略)③評訟経官慮念彼観音力これらの画題を絵画化した図像は,平安時代の八巻本紺紙金字法華経見返絵や,同時代の『法華経』を典拠とする絵画作品(装飾一品経表紙絵・見返絵,宋版法華経見返絵など)や,さらに典拠のみならず技法をも同じくする作品(法華経宝塔曼荼羅)にも,いまのところ例をみない。このように高伝寺本は,平安時代の伝統的な画題選択を継承しつつ,新しい図像をも描くという創造性を見せている点に特徴がある。つぎに表現形式の面からみる。高伝寺本には,見返の画面中央に,右足を上に結珈訣坐し,説法印を結ぶ正面向きの釈迦と,釈迦を囲む菩薩や比丘形からなる説法集会を描き,画面上方にはすやり霞に浮かぶ遠山,下方には土坂に経意絵が描かれている。平安時代の紺紙金字法華経見返絵は,全般に表現形式の上で守旧性が強いが,その中で構図に関しては大きくつぎの二系統に分けることができる。一つは9世紀の延暦寺銀字本〔図6〕に代表される,斜め向きの釈迦説法図を画面の端によせておく構図,いま一つは12世紀の百済寺本〔図7〕のように,正面向きの釈迦説法図を画面中央におく構図である。前者の斜め構図は,地平線の向こうに突き出す山塊を置き,そのむこうに遠くまでつづく水面を配して奥行きをもった空間ををつくり出しているのに対我今重問彼名為観世音俵答無尽意毒龍諸鬼等時悉不敢害怖畏軍陣中衆怨悉退散(大正新修大蔵経巻第九)-565-

元のページ  ../index.html#576

このブックを見る