より早い12世紀第3四半世紀の制作であると推定できる。高伝寺本は平安時代の経絵の流れの中の如何なる位置に置くことができるであろうか。以下,画題と表現形式の二面から考えたい。まず画題の面からみると,高伝寺本の新しい図像選択はこの作品の性格を考えるうえで重要である。とくに巻第六の武者の図像は,たんに経意を表すモチイフとしてのみならず,釈迦に対する,ひいてはこの法華経に対する供養者としての意味をももっていると考えられる。またこの武者の着ける大鎧の形式は,平安時代後期に定着したとされるが,先の本作品の制作年代の設定が正しければ,大鎧に身を固めた武者は,絵画モチイフとしても当時最新のものだったであろう。同時代のモチイフを取り上げることは,紺紙金字経が,一般的には唐代の風俗による図像を踏襲するなかで特異である。つぎに表現形式の面から,とくに金銀泥の描法と画面構成の二点を検討することで考えてみたい。まず描法の点では,銀の使用法に特徴がある。菩薩の装身具や宝樹にかかる櫻塔などの装飾品に銀泥線を用いることは,紺紙金字経の伝統的技法であるが,高伝寺本では隣あう松樹の葉叢や下草を金銀で描き分けたり,すやり霞を銀泥の外隈でうっすらと表すといった,繊細な銀の使用がみられる。画面構成の点では,モチイフが地面から浮上せず調和していること,そして画面に自然な浅い奥行きが表現されていることが特徴であろう。前者は,モチイフの舞台である平坦な地面を均質な金銀泥ばきで表し,画面のあらゆる部分に等質性をもたせていることによると思われる。後者の奥行きは,金泥の円弧で描かれた遠山を微妙にずらして配し,うっすらとした銀泥の霞に浮かべるという遠景モチイフの巧みな配置によっている。さらに,上方の遠山と下方の土域の間に何も描かない空白部分をのこし,その空白によって遠景と近景を自然に結び付けている。紺紙金字経見返絵の定型の百済寺本以降,遠山,土破,空白という晶本的構成要素を如何に組み合わせるかによって,画面構成の変化がもたらされ,諸本の表現上の差異がうみだされてきた。高伝寺本では,霞や土域にみる銀泥の巧みな表現と,画面構成の工夫があいまって,自然な奥行きを実現している。3 高伝寺本の経絵としての位置-567-
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