4 高伝寺本の平安絵画における位置さらに中尊寺経では,遠山を省略して土波を画面上方まで畳むことにより経意絵の舞台をより大きくし,数多くのモチイフを散りばめる細密画的な構図〔図8〕や,土披を完全に省略し,遠山を画面下方に配して虚空の広がりを表す構図〔図9〕などがみられる。これらにおいては,定型構図を消化し,構成要素を分解して再構成し,経意絵の舞台として多様な構図を創造している。そしてその多様な舞台空間に,経意絵の自由な展開が結びついている。高伝寺本では,土波を百済寺本よりやや高い位置まで描くことでモチイフの配される舞台をひろげ,巧みな遠近表現によって経意絵の舞台に奥行きを与えている。このことから高伝寺本を,紺紙金字法華経見返絵の流れの中で,定型構図から新たな空間構成へ向けての変化の兆しをみせる作品として位置づけることができよう。これまでにみた高伝寺本の自由な空間構成への傾きと新しい図像の選択とは,相互に呼応する時代的な造形上の変化ではないだろうか。経意絵の舞台としてどのような空間をつくり得るかという工夫と,その舞台に新しい経意を描くという試みはともに,画面に新たな展開性を導入するという問題を対象としていると考えられる。そしてこの造形的変化は,院政期絵画のきわだった一面をなす,展開性をもった絵巻の登場とも共鳴している。例えば土破を画面上方までたたむ,あるいは遠山を画面下方に配するといった,経絵にあらわれた画面構成が,信貴山縁起絵巻(12世紀後半)において有効に用いられていることが挙げられる。確かに,一面ずつ独立した小画面絵画の経絵と,連続する画面に流れるような展開性を実現した絵巻との間には構図上の飛躍がある。しかしその間隙に,両者をつなぐものとして,経絵との構図,描法,モチイフの形態における近似が指摘される(注7)ところの華厳五十五所絵巻(12世紀後半)や,やや時代の降る十二因縁絵巻,法華経絵巻(ともに13世紀前半),そして工芸品ではあるが仏功徳蒔絵経箱装飾画(11世紀半ば)(注8)などの,場面ごとの独立性をたもちながら,横方向への限られた展開性をもそなえた作品を挙げることができよう。紺紙金字法華経見返絵という小画面絵画の一群が,平安時代をとおして数多くつくり継がれるなかで,遠方への奥行きをもつ斜め構図を離れて近景の平坦な広がりに重心を置く正面構図を撰びとり,その正面構図のなかで定型を成立させたこと,そして-568-
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