鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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の特徴であるが,時代が下るにつれて,この三つの図像が相互に影響したり,融合したりしたわけで,五代・宋時代に至って,この三つの観音図像は元来の相貌が段々に薄れてしまい,各観音像には他の観音像の様相の特色が窺われるようになったことも理解できる。また,敦煙で五代から宋を経て西夏の時まで,長い歳月に亙って発展してきた水月観音図の作品の中に,当地区で最初に出現した水月観音図に近いと推測される天福八年銘の水月観音図(ギメ美術館蔵)がある。これは伝統の仏画の特質を強く残したものであった。それから西夏のころ描かれた当時の俗人の服装の図柄や,世間で用いられた机などのものないし現実に見られる月の様子を取り入れた水月観音図へと発展するのであるが,時代によって,その様式の変化を窺うことができる。このことがさらに統合されもっと進展した結果として,元時代以後,より多くの,また様々な観音像の出現をもたらしたのであると考えられる。ところで,現存する作品例から考えてみると,図像表現の特色には共通点があると言えるけれども,その地域性の差によって,その様式の相違を窺うことができる。水月観音の例について言えば,本論に取り上げた現存する作例は,殆ど敦煤地区を含む西北地域で制作された作品であり,中原王朝の勢力が及んでいた範囲で作られた作品は僅か二例しか取り上げられなかった。このような二例のみを以てその様式の特徴を明確に指摘するのは難しいことであるが,時代が遅れて制作された南宋淳煕五年の大徳寺の五百羅漢図(周季常・林庭珪筆)に見られる画中画一水月観音図と,敦煙石窟に見られる西夏の水月観音図とを比べると,水墨と色彩の違いは別として,その構図の異なりや様式の相違は明らかである。これは敦煙では,従来から発展してきた仏画の特質を伝承することが重視されたわけであり,一方,五百羅漢図に現された水月観音図は,水墨で表出するにふさわしい要素を取り入れて,新しい様式が生み出された結果であると考えられる。それに,白衣観音の作例からみると,その姿態の柔らかさは各地域で描かれた白衣観音図とも同様に窺うことができるが,六和塔の石刻観世音経拓本や藪本氏蔵の墨画白衣観音図はその線描や筆使いを重視し,より自由な様式が表出された。牧硲筆の白衣観音図に表現された荘厳かつ冷澄さを味わえる様式とは異なっているのである。そして,これらの白衣観音の様式と比べて,ベルリン国立インド美術館蔵の観音変相図や韓国国立中央博物館蔵の観音変相図などに現われている白衣観音のほうに,前代から伝えられてきた密教的な要素が多く残されていることがわかる。さらに,図像的に-47-

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