鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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は同じ楊柳を持物とする観音の造形であっても,知恩院の阿弥陀浄土図に見られる観音像では,その繊細さの中に謹厳さを帯びた筆致を玩味することができる。一方,同時代の敦煙絵画の作品の中には,その素朴さや古拙の趣味を十分に享受することができるものがある。このような地域性の差によって,同様の図像が,各地方で異なった形式で表現されて,特有な様式を形成することも十分に認識された。上述したような表現形式の差の指摘は,どこの文化の発展が高い,或いはどこの文化の進展が遅いといったことから形成された結果という結論を導きたい意図では決してなくて,むしろ各地域でその独自の文化の諸要素をうまく結び付けて,一つの独特の様式が生み出されたことを強調したいのである。これが観音像の多様化した原因の一つであると考えられる。元時代以降の観音像への影響については,元時代にはいると,前代から続いてきた観音像の創作は,依然として衰えることなく,栄え続けた。観音作品が制作された意図から言えば,それは大きく二つに分けることができる。一つは仏画の本来の目的一礼拝する対象を作り出す,若しくはそれを荘厳にするために作られたものである。この場合には伝統的な仏画の影響の跡が強く残され,例えば敦煙莫高窟第三号窟東壁北側に表わされた観音作品などがそれである。もう一つは本来の目的も含みながら,作者の心に膨らんだ理想的な観音像を具体化し,表現しようとする意図から生み出されたものである。この場合には,作者の想像力がより自由に発揮され,例えば前田育徳会に所蔵される馬郎婦観音図などがそれである。ことに,後者の場合において,制作された観音像は様々な姿態や相貌を呈することが理解できよう。ある時には,仏画のイメージから全く外れることも十分に考えられる。例えば,台北故宮博物院に所蔵される陳洪綬筆の蓮池応化図は,その好例の一つである。画面の上にもし賛が書かれていなかったら,これは阿弥陀三尊像とは考えにくいのである。ある時には,従来の様々な図様を取り入れてそれらを新しく組み合わせるものも見られる。フリーア美術館に所蔵される魚藍観音図が,その例として取り上げられよう。全体的に色彩が重々しく,伝統的な仏画の様相を窺うことができる。この作品の構成においては,観音像の造形も古風な形象を味わうことができる。画面の下方に描かれた二童子の姿は善財童子の印象もあるが,ここではむしろ,観音が子供の守護神であるという観音信仰を強調するものではないか。伝統様式の観音ではあるが,その手に持っている魚藍の図様は,この作品を魚節観音と名付ける決め手になったのである。-48-

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