注(1) 以下奇然,寂照等の事績に関しては『塚本善隆著作集』7'『西岡虎之助著作集』(3) 『七大寺巡礼私記』,心覚『諸尊図像』。(4) 水野敬三郎「輔静已講について」(『MUSEUM』162昭和39年)の見解を採る。(5) 特に寛仁元年(1017)大安寺火災で光背が焼失した可能性があり,これ以後の製(6) 田中稔「七大寺巡礼私記と十五大寺日記」『研究論集』I(『奈良国立文化財研究(7) 速水侑『源信』昭和63年(8) 堀大慈「二十五三昧会と霊山院釈迦講」『京都女子大学人文論叢』9昭和39年場には,時代が確実に新しい意識を手に入れたことがみてとれるだろう。3ほかを参照している。(2) 長岡龍作「仏像表現における「型」とその伝播(下)」『美術研究」352平成4年作とすると事情は変わってくる。所学報』21)昭和47年-580-
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