しかし従来のボイス研究を基礎にすることと,これまでのありきたりのボイス像から一歩も踏み出さないことは根本的に異なる。本研究は新たに見出されたドキュメントに則しながら新たなボイス研究の文脈を開拓しなければならない。これまで一般に信じられてきた両芸術家の関係は,美術の次元をかなりはなれて,両者の科学に対する精神的な態度の次元にとどまっていたように思われる。本研究はむしろ現代のメディア理論的な観点を含めて,両者の素描に対する高い評価を,その形式ないし機能面にまでわたって比較検討し,その基盤に立って従来の美術外的,社会政治的,精神主義的なボイス研究の方向に大幅な修正を加えようとするものである。て,一冊のスケッチブックを制作している。1975年のことである。この間,十年が経過しているが,S・リードルベルガーによれば実際にボイスがレオナルドの『マドリッド手稿』〔図1,2)を見たのは,1975年にその内容が国際共同企画で各国語に翻訳されたときであり,しかもボイスは『マドリッド手稿」をそのドイツ語ファクシミリ版を通じて知っている(注7)。さらにボイスはスケッチブックを一点だけ制作したのではなく,複製を同時にこのオリジナルに基づいてしかも『マドリッド手稿』の大きさと同じ版型にして出版している〔図3,4〕。『マドリッド手稿』のオリジナル原稿は,21X 15cm, 1975年に各国から共同で出版されたファクシミリ版の大きさは,23Xこのスケッチブックの複製品はしたがって,一面,美術作品という性質を持ちながらも,また他面,出版物という面を持ち,これをボイスはマルチプル(複数作品)と呼んでいる。しかしこのスケッチブックのマルチプルの大半が実際には美術市場に流れていったと思われる。このマルチプルの出版自体が,限定出版という形をとっていて,スケッチブックそのものの体裁や,その内容をつぶさに確かめることは,現在,日本ではもちろんのこと,ドイツ国内では,特に大学や研究所などの図書館施設においてもそれはど容易なことではない(注8)。ところが我々がボイスの「レオナルドの『マドリッド手稿』のための素描」として知っているものは,実際にはスケッチブックの形をしたマルチプルでないことが多い。我々が一般にボイスの「『マドリッド手稿』のための素描」として知っているものは,II,新資料の物語るもの1)ボイスは1965年に再発見されたレオナルドの『マドリッド手稿』に刺激を受け16cm,それに対してボイスのスケッチブックの複製品の方はやはり同じ23X16.5cm。--583-
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