現在,ドイツ本国,日本を問わず,美術館,画廊等の展示スペースでは,このスケッチブックのマルチプルとリトグラフの素描作品は,両方ともが展示されていることはめずらしく,たいていの場合,後者だけで展示がおこなわれている。本来ボイスの「『マドリッド手稿』のための素描」では,この両者が一体的な,相互補完的な関係にあったはずである。もちろんこの当初のマルチプルの出版のされ方,その形式が,それ以後も展示の方式を規定し続けなければならないというのではない。しかし実際にリトグラフの素描作品だけで展示がおこなわれる場合,マルチプルのスケッチブックの方が素描作品の付録のように思われてしまうことや,それどころか前者が存在していたことがまった<忘れられてしまうことさえある。現在よく見かけるこのような展示のあり方は,少なくともボイスのこのプロジェクト全体を断片的に見てしまうことになるであろう。2)このようにして我々はさらにこのプロジェクトとのかかわりでおこなわれたボイスのレオナルドに対する発言そのものを,別の第1次資料から読み取る作業に移らなければならない。『マドリッド手稿』についてのボイスの発言として貴重な資料となるものが,M・クンツによっておこなわれたインタヴュー(1979年)である((注4)参照)。ここには本研究にとって欠くことのできない幾つかの基本認識事項がポイス自身の言葉で語られている。それではまず最初に彼がこのプロジェクトの実行を決意するにいたったきっかけが語られている箇所から見てみることにする。インタヴューの中で聞き手がこのボイスのプロジェクトのことを「レオナルドのマドリッド手稿の翻案,パラフレーズ(意訳)」と呼んだとき,それに対してボイスはきわめて興味深い反応を示している。ポイスは「レオナルドについて解釈のようなことをやろうとしていたのではない」とまず断った上で,彼はつづけて「むしろ私は,普通一般に我々が注文こにこたえるときに許されるごく短い時間の間にできる範囲で,ある種のことがらを心に思い描いています」と述べている。彼はそれを「一枚一枚の素描の中に,できる限り目に見えるようにやってみようとした」のである。ところでここでいわれている「(心に思い描く)ある種のことがら」とはいったい何のことなのだろうか。ボイスはこう述べている。「レオナルドが今もし生きていたとしたら,彼は今日の科学技術をどんなふうに描くだろうかと心に思い描いています」と。つまり「レオナルドが今もし生きていたら」(いわば仮定法的に),しかも「今日の科学技術をどんなふうに描くだろうか」(いわば未来志向的に),ボイスはきわめて現代的発想に基づいて計画を思い-585-
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