立ったのである。本来は過去形で,しかも三人称で語られるレオナルドを,現代風に彼のテーマを読み替えることによって,現在形の一人称のボイス自身の中に移しかえ,ボイスの中に読み込もうというのである。ボイスの「『マドリッド手稿』のための素描」を美術研究の対象として取り上げる際,その出発点を,従来いかなる観点で描法の造形的特徴や出版形態等の共通性なり差異性が論じられてきたのか,また我々が吟味すべきドキュメントにおいてその素描を特徴付ける観点がどう変化してきたかに求めてみたいと思う。1)出発点としてのボイスのレオナルド像。まず「『マドリッド手稿』のための素描」を計画したボイスにとってレオナルドとはどのような存在であったのだろうか。この芸術家としては全くいかなる点をとっても対照的に見える二人の関係を明らかにすることから,この問題に対する一般的な関心ははじまる。この点については,とりわけ『イタリアでの軌跡』((注4)参照)でボイスが述べているレオナルドの規定の仕方が,要領を得た解答を与えてくれている。すなわち「(彼が僕にとって重要なのは)彼個人の内で,二つの側面に眼を向けなければならなかった,という歴史的状況の中に生きていたからです」。つまりボイスにとって,レオナルドとは,「全体的,神話的な連関を眺める能力」と「科学技術の発展を起こした……分析的方法」とが矛盾し合わないで共存するルネッサンスという時代を典型的に生きた人物である。このような彼の二面性にポイスは非常にひかれ,「全く複雑であるが全体としてのまとまりをもった造形描写が」彼を魅了した。ボイスはこう述べている。「ルネッサンスから生まれる発展という問題点は実は科学概念に傾く傾向を持っており,そのためレオナルドはこの科学概念を優先させたのです。しかし彼にはこれまでに積んできた全体的な知識や精神的な経験というものがあってそれがいつも顔を出すのです」。このようなレオナルドに,ボイスは科学と芸術が両立していた時代と,両者が互いに反目し合い,排除し合う現代という時代との「歴史の転換点」に立つ芸術家を見ている。2)両者の素描そのものの論述。ボイス研究史の中ではじめて彼とレオナルドの素描の形式上の対比的関係にまで細かく踏み込んだ叙述がおこなわれることになる。たとえばマルチプルとして出版されているスケッチブックの序には,アドリアーニによって次のような『マドリッド手稿』における素描の特徴が述べられている((注5)参III,ボイス「『マドリッド手稿』のための素描」-586-
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