⑰ 土佐光茂・狩野元信の基礎的研究と「和」「漢」概念の再検討ー「釈迦堂縁起絵巻」をめぐって一一研究者:学習院大学文学部助手亀井若菜私は,平成7年度,鹿島美術財団より研究助成を受けた。その研究計画では,土佐光茂,狩野元信の作品研究を行うこと,及び,「土佐=和=濃彩J,「狩野=漢=水墨」という枠組みを問いなおす必要を考えた。本稿は,その研究の結果を報告するものである。この報告書では,特にその中でも「釈迦堂縁起絵巻」に関する考察を中心とする。これは,計画書の中でも,この枠組を問いなおす大きな柱として,「釈迦堂縁起絵巻」の様式研究を挙げていたことによる。「釈迦堂縁起絵巻」は六巻よりなる絵巻である。本絵巻の制作時期,制作者などについて語る文字資料はなく,制作背景については一切不明である。江戸時代の記録『遠碧軒記』『薙州府志』などに狩野元信の筆と記されること,及び,元信筆とされてきた大仙院方丈衣鉢の間の「禅宗祖師図」に類似する構図や表現があることから(注1)'本絵巻も狩野元信の筆とされてきた。また,狩野元信筆の奥書かあるサントリー美術館蔵「酒伝童子絵巻」に絵の様式が類似することも,元信筆とする理由として挙げられよう。制作時期については,第六巻の巻末に「至今永正十二乙亥歳」と記されていることより,永正12年(1515)頃の作とされている。本絵巻に関しては,これまで,絵の金地濃彩の様式(第一章参照)や斜めの構図法に関する言及がなされ(注2)'また,そのテキストの出典に関する研究が行われてきている(注3)。まず,本絵巻の絵の様式については,元信が,やまと絵の様式を積極的に取り入れた例とされてきた。山岡泰造氏は「鮮やかで濃い彩色法や人物の表現などから,土佐光信などの画風よりも『春日権現験記絵巻』や『法相揺事絵巻』『石山寺縁起絵巻』など鎌倉末,南北朝の頃描かれた一群の絵巻が思い浮かべられる」とされている(注4)。また村重寧氏は,本絵巻と「石山寺縁起絵巻」が,群青,緑青,金泥による山水の装飾的彩色において類似していること,及び,清涼寺蔵「融通念仏縁起絵巻」と金の背ー.絵の様式について-594-
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