年(1880)には野上佐太郎氏が所有するところとなり(注9)'今から10年程前に,黎明館に入ったという。十三幅のうち,第九幅については,表装が他の十二幅と異なっている。また画面も,顔料の剥落が特に激しく,色も全体に茶色がかっている。これらの状態が,他の十二幅と別に保管されていたためであるのか,あるいは,全く別のセットとして作られたためであるのか,その確定にはなお検討を要すると思われる。では,この仏伝図と「釈迦堂縁起絵巻」に類似性はあるのであろうか。百橋氏は,「釈迦堂縁起絵巻」の仏伝図の部分が,全くの中国の風俗で表されることを,十三幅本と類似する点として挙げられている。そこで,まず両作品の人物の服装を比較した。しかし,具体的に比較をすると,両者に類似する部分はほとんどないことがわかった。例えば,女性の服装として,釈迦を出産する摩耶夫人を取り上げ比較してみよう(両作品それぞれにおいて,他の女性達も,摩耶夫人に類する服装をしているため,女性の服装を見る上で,摩耶夫人をその代表として取り上げる)〔図2• 3〕。まず冠について。「釈迦堂縁起絵巻」では,冠の頂上にはカーブを描く棒状の飾りが後ろ向きに出ており,冠の両脇には蓮の花のような赤い花が付き,その下に白い紐状のものが何本も出ている。一方,十三幅本では,冠に棒状の飾りや蓮華状の花,紐状のものなどがなく,「釈迦堂縁起絵巻」とは異なる形状をとっている。女性の衣装では,「釈迦堂縁起絵巻」で,肩の部分で外側に反り返るように突起する飾りが首の回りに付いていること,袖の部分に細かな装のある飾りが袖ぐりを取り巻くように付いていること,また,ウエストから下に帯状のものが垂れているのが特徴的である。しかし,十三幅本の女性の衣装にはこれらのものは見られない。また「釈迦堂縁起絵巻」では,女性の衣の裾から靴の先が見えるが,十三幅本ではこのようなものもない。男性の服装についても,両者は異なっている。「釈迦堂縁起絵巻」と十三幅本に表された風俗が,日本のものでもインドのものでもないという意味では共通するとも言えようが,両者の服装に直接的な関係はなかろう。「釈迦堂縁起絵巻」の人物の服装が何によって描かれているのか,そのイメージソースについては,更に博捜する必要がある。それを現段階で解明することはできないが,例えば,女性の衣装については,ベルリン美術館蔵「+一面観音菩薩像」(鎌倉後期〜南北朝)の吉祥天像〔図4〕に類似性が感じられる。細部を見ていけば異なる部分もあ-596-
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