鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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ー一谷文晃筆「公余探勝図」再検討と「小笠原島真景図」紹介—⑤ 江戸時代後期絵画の実景表現に関する研究研究者:岸本明美はじめに寛政五年谷文晃により制作された「公余探勝図」は,洋風技法の力を借りて自然景の迫真的な再現という制作の課題に挑戦するものであった。専ら都市風景を描くそれまでの洋風画とは一線を画する本作品の制作動機,および江戸時代の風景表現史における意義については,様々な角度からの考察が必要と思われる。そこで本研究においては新たな比較材料の対象として,洋風画の領域外に属する実景表現であり,本作品の制作時には既に盛んに流布していた名所図会の景観図に注目した。一連の作品に見られる空間表現は,年代ごとに変遷を辿っている。この「空間表現」という要素のみを抽出し,「公余探勝図」のそれと比較検討することにより,考察の新局曲を開くことを試みた結果を,報告の前半部に記すこととする。なお報告の後半部において,幕末小笠原諸島巡見の折りに制作された「小笠原島真景図」を取り上げる。「公余探勝図」を始めとする巡見の成果としての実景図の系譜の中では最末期に位置するものである。美術史の分野において未紹介ながら,江戸時代の実景表現の帰着点というべき位置を占める本作品についての考察は,「公余探勝図」において開拓されたこの分野が,どのような変質を遂げたかを知るにおいて重要であると思われる。安永九年に京都の書隷吉野屋為八から出版された『都名所図会』全六巻は,当時まだ無名の秋里籍島が著し,浪華の画家竹原春朝斎の挿図を付して世に問うたものである。刊行と同時に大好評を博し,以後数々の名所図会が生み出された。春朝斎は生没年不詳,名は信繁,大岡春卜の門人坂本春汐斎に師事したという(注1)。春朝斎がその生涯に手がけた名所図会挿図は,年代順に都,拾遺,大和,泉,摂津の計五種である。このうち「公余探勝図」の成立以前に刊行された前半三種についてまず検討したい。『都名所図会』の膨大な挿図の大部分は寺社の境内や名所を遥か上空から俯眠し見開1 『都名所図会』から『大和名所図会』まで-50 -

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