鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
611/747

年,同「狩野派の絵巻物制作一~釈迦堂縁起絵巻の規範性と絵巻物における『元注(3) 並木誠士「釈迦堂縁起の構造」『鑑賞・消費の観点から見た芸術』平成3年度科学そうとしていると言えるのではないだろうか。そう思って見ると,「釈迦堂縁起絵巻」と「融通念仏縁起絵巻」はあらゆる点で対照的な関係にあることが見えてくる。例えば,清涼寺蔵「融通念仏縁起絵巻」の詞書は,十六人の貴顕が書き,それぞれ署名を施しているが,「釈迦堂縁起絵巻」の詞書は,一人の筆跡によっており,現状では署名等はない。また「融通念仏縁起絵巻」では,融通念仏宗が,天皇から牛飼童の妻に至るまでの,多様な身分の人々の信仰を集めていることを強調しているが,「釈迦堂縁起絵巻」では,インドから日本に至る各国の国王や皇帝が信仰したことが強調されている。釈迦堂に集まる人々にも上述したように違いがある。そして「融通念仏縁起絵巻」は広く流布したが,「釈迦堂縁起絵巻」は一本のみが上質の顔料によって作られたのである。十六祉紀初期にできた「釈迦堂縁起絵巻」は,十五世紀に「融通念仏縁起絵巻」によって流布していた清涼寺釈迦像のイメージを補完するものとして,あるいは,その別の側面を見せるべきものとして作られたとは考えられないだろうか。このように考えると,狩野元信が「釈迦堂縁起絵巻」の絵師に起用されたのは,その画風が,清涼寺蔵「融通念仏縁起絵巻」を担当した絵師達とは異なるもの,あるいはそれを補完して釈迦像のイメージを表しうるものと認識されていたためとも言えるのではないか。第一章で考えた「釈迦堂縁起絵巻」の様式が何に由来するものであるかは,この,絵巻の制作背景に深く関わっていると考える。「元信の濃彩画」がどのような意味を表すものであるのか,結論を出すことはできなかったが,元信画の様式の意味を問う研究を今後も継続していきたいと思っている。(1) 辻惟雄「狩野元信(三)」(『美術研究』2701970年),山岡泰造「釈迦堂縁起絵巻」作品解説(『日本美術絵画全集7狩野正信/元信』集英杜1978年)など。(2)並木誠士「釈迦堂縁起の画面構成について信様式』」『日本美術全集12水墨画と中世絵巻』講談社1992年研究費補助金総合研究(A)研究成果報告書1993年狩野元信研究」『美学』1691992 -600-

元のページ  ../index.html#611

このブックを見る