めてきたモダニズム芸術,あるいはその理論的支柱となったクレメント・グリーンバーグのフォーマリズム批評に対する懐疑が深まった時期であった。作品の背後にある「意味」や「内容」をふり捨て,作品そのものの物体としての迫真性や,作品内部の形態に着目するというフォーマリズム批評の考え方は,必然的に作品を歴史や文化とのつながりを断ち切って理解することに結びついていった。そのような考え方は,フランク・ステラが1964年に自作の抽象画について述べた,「あなたが見ているのは,あなたが見ているものだ」(注5)という言葉に端的に示されている。一方,コススやビュルガーらの理論は,作品にまつわる「観念」や「意味」に着目しているという意味で,反モダニズム,反フォーマリズムの流れに位置づけられるのである。しかしここで留意したいのは,デュシャンによって開示されたとされる「物体」と「観念」の乖離という認識は,フォーマリズムの理論においても共有されていた,という点である。制度理論も,フォーマリズムの理論も,作品に究極的な「意味」や「観念」を与える場としての「外部」を措定している点では同じなのである。制度理論とフォーマリズム批評はいわば同じコインの表裏の関係にあったといえよう。本論は,デュシャンの芸術をこのような従来の制度理論の枠組みを超えてとらえようという試みである。その際に着目したいのは,ステラが擁護し,コススが捨象したはずの「外観」の問題であり,身体と密接に結びついた「視覚性」の問題である。この「視覚」こそが,デュシャンの作品の「内部」と「外部」を結びつける「蝶番」として作用していると思われるのである。観念としての視覚デュシャンの芸術における視覚性の問題については,デュシャン自身の言葉が,これまで一定の見方を提示してきた。コススの言うような「外観」と「観念」の対比は,デュシャン自身によって,「網膜的なもの」と「観念的なもの」の対比として語られており,ピエール・カバンヌとの対話のなかで,デュシャンは,「非観念的なもの」や純粋に「網膜的なもの」を否定し,シュルレアリストたちの(そして彼自身の)目指すものが「網膜的なものを超えたところ」だと強調した(注6)。また,アラン・ジュフロワとの対話のなかでは,デュシャンはその「網膜的なものを超えたところ」を,「脳組織だけがもたらしうるひとつの表現」という言葉で言い換えている(注7)。このようなデュシャン自身による「脳組織」への言及は,デュシャンの芸術におけ-607-
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