き図に描くものであるが,「蓮華王院三十三間堂」〔図1〕はこうした俯眼景の一例である。大矢数で有名な長い御堂やその周辺の景を一望に収める斬新な構図は,「三次元空間において平行な直線群を,画面上でも平行なままに描く」(注2)平行遠近法によっている。横に走る道路は画面に平行に描かれ,観る者は画面右下から左上に斜行する道路を目で辿り,空間の奥行を把握する。景物の大きさは手前と奥とでほとんど変わらない。古米よりなじみ深いこの構図法は,名所図会俯暇図のもつ重要な機能と結びついている。これらの図は読者を楽しませるためだけに描かれたのではなく,矢守一彦氏が指摘する通り,寺社の境内における建物の配置や,複数の名所・寺杜の相対的位置つまり地誌的配列を知らしめるのに好適であり,「地図の機能の代用」を果たしていたのである(注3)。確かに同氏が例に掲げる地図「袖珍都細見之図」[図2〕において,絵画化された名所を画面に配する様はさながら名所図会の俯眼図であり,両者の深い関わりを窺わせる。一方宝永年間の刊行が推定される奥州出羽三山の案内書『三山雅集』は,地誌書に地図的要素の強い挿図を伴う先駆例である。この素朴な挿図は限りなく地図に近い〔図3〕。地方における出版物であり,中央の出版動向との関連は不明ながら,名所図会挿絵と地図的要素の関連の深さを証する例である。春朝斎の挿図は『三山雅集』よりも遥かに洗練されている。地誌的な情報を十分に伝えることと,見開き図の特性を生かし景観の広がりを観る者に実感させること,この二つの要素の充足が彼の課題であった。春朝斎の選択した平行遠近法による俯眠図は,これらの要素を併存させ得るものであった。とはいえ両者のバランスは半々ではなく,情報の均質な伝達に比重は傾いている。従って主要なモチーフー点に視点を集中させるというよりは,地図や絵巻物を鑑賞する時のように個々のモチーフを眼で辿ることを意図した画面構成となっているのである。例えば〔図4〕を見ると,霞の中に浮かぶ個々の名所は現実感に乏しく,統一的な空間としての迫力が著しく欠けている。ところがこの難点は,地図を見るように個々の名所を目で追う時には全く気にならない。むしろ画面左下より右上の山々へと視線を巡らすことに快感すらおぼえる。中村良夫氏が「臥遊」と呼ぶこのような連続視点による景観把握は(注4)'名所図会において地図の機能と関連しつつ根強く継承され-51 -
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