きる。この「見ないことの不可能性」という点で,《遺作》の「のぞき魔」はサルトルの「のぞき魔」とは少し異なっている(注14)。《遺作》のモデルにおいては,サルトルの「のぞき魔」と異なり,「客体」としての身体と「見る」という行為はそれぞれ不可分なものとして結びつけられているのである。視覚が「客体」としての身体と不可分だという,デュシャンが《遺作》で提示したこのモデルは,19世紀の初めに誕生した生理学的な視覚研究のなかにその対応物をみいだすことができる。18世紀までの光学的研究とは異なり,生理学的研究では,見る者の身体が視覚的体験の生きた生産者とみなされたのである。たとえば色彩は,神経組織の一時性に従い,つかの間の経験のなかでうつろいゆくものと理解されるようになった。イメージの観察者から生産者となった身体—~この変化は,カメラ・オブスクーラとステレオスコープという二つの視覚的装置の違いにも認めることができる。17世紀の認識論のモデルともいえるカメラ・オブスクーラにおいては,観者は,分離した主体として,壁に映し出されたイメージを観察することができた。それに対し,二枚の写真を用いて奥行きのある画面を模造するステレオスコープにおいては,観者は,二つの異なったイメージに分裂した世界を,自ら生産者となって再構成するのである。19世紀の生理学者ヘルムホルツは,「見る」行為とは,外界のイメージの解釈の仕方を経験や実践によって習得することだとした。そしてヘルムホルツは,そのような視覚のモデルとしてステレオスコープをあげ,視覚の問題において,イメージとそれが属する空間との関係はもはや考慮される必要がないと説いたのである。デュシャンの用いた「脳組織」という言葉が,生理学的な大脳のことを含意していることはまず疑いのないところである。とすれば,「網膜的なものを超えたところ」は,知性や思考といった能力に関係しているわけでも,身体を超えた超越的な観念の世界に属しているわけでもないといえよう。また,「網膜的なもの」に対するデュシャン自身の拒絶にもかかわらず,《遺作》や20年代から30年代にかけて制作された一連の視覚装置《ロトレリーフ》,《回転ガラス板》,《回転半球》,《アネミック・シネマ》ー一は,ステレオスコープや立体写真と同様に,明らかに,視覚の生理学という理論的立場にくみしているのである。それらの視覧装置においては,渦巻き模様に回転運動が加えられることにより,三次元のイリュージョンが生みだされる。それは,生理学的な目(optic)と結びついた純粋に視覚的な錯覚(opticalillusion)である。デュシャンの《遺作》は,遠近法という観念的な体系をとりいれると同時に,その-611-
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