鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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(1) 「木形」「紙形」と「公余探勝図Jてゆくのである。『拾遺名所図会』において,平行遠近法はより整然とした形に整えられる〔図5〕。画面を区画する直線はより強調され,現実感を増している。また,主要なモチーフを際立たせるために名所とそれ以外の場所(田圃など)の境界が明確になり〔図6〕,その傾向は次の『大和名所図会』において一層促進される。画面に動きを与えるべく構図に曲線を取り入れたのもこの図会が最初である〔図7〕。こうした変化はあれど,両名所図会の主眼は依然地図の要素に傾き,「臥遊」の視点が優勢である。〔図8〕を見ると,空間の奥行を強調するモチーフは置かれず,全ての名所は均質に描かれ画面に調和して納まっている。各々の名所を目で追い情報を得ながら「臥遊」の楽しみに浸るという形式が,ここにおいて洗練を極めたということができよう。観る者の実感を喚起する描写の工夫を図りつつ,地誌的な情報の伝達を優先する描写,すなわち「臥遊の視点」による描写の洗練に努める会制作における春朝斎の姿勢の要約である。彼は情報を均質に伝える画面構成を制作の根本に据え,空間の迫力を伝えるための改良をその枠内において試みたのであった。2 「公余探勝図」の特質の再検討「公余探勝図」の空間に見られる「歪み」(注5)は,この作品と名所図会群が空間表現におけるある一つの課題を共有することの証である。すなわちこの「歪み」は本来一点透視図法において小さく幽かに描かれるはずの画面奥のモチーフまでも詳しく描写することに由来し,その目的は春朝斎同様,均質な情報の伝達と空間の迫力の表現の併存にあると解し得るからである。しかしながら「公余探勝図」における制作の比重は圧倒的に空間の奥行表現に傾いていた。絵地図の機能とは別の何かがこの作品に期待されていたのである。本作品は寛政五年老中松平定信が伊豆・相模方面の巡見を自ら率いて行なった際,文晃に描かせたものである。この巡見は,前年九月に日本との通商を求めて根室に来航したロシア使節が江戸への上陸を強く求めたことに端を発し,従来手薄であった江戸湾周辺の防備を見直すことが目的であった。巡見中定信より同行の勘定奉行久世丹後守宛の書簡(『楽翁公巡見記』(写本,内閣-52 -これが以上三つの名所図

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