鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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なす。先ず,第一•四段落の「感覚」は,造園家が自らの内部に感じなくてはならな整形性・人工性一般を否定している訳ではない。無論この箇所におけるポープの中心的主張の一つは,「全てにおいて,自然が決して忘れられないようにせよ」ということにある。しかしこれは,謂ば真理の半分でしかない。なぜならこの行も,対句の片方でしかないからである。もう片方は,それに先行する三行,「建てる時,植える時,何を意図する場合でも,柱を立て,アーチをかけ,テラスを築き,グロットを掘る時」である。つまりポープは,人間的「意図」に満ちた人工的建築・庭園を造る際に,「自然」を忘れるなと主張しているに過ぎない。だからこそ彼は,すぐ次のように付け加える。「けれども(But)この女神〔自然〕を,慎ましい麗人として扱わねばならない」。「自然」は忘れられてはならないが,しかし前面に出過ぎてはいけないのである。この「自然」と芸術(=人工)の亀裂を卒んだ関係は,「自然」を「着飾る」とその「肌を露」にするというエロティックな含意のある対句によって引き継がれる。ここでポープが理想としているのは,「技の半分は,品良く隠すこと」という言葉が示すように,「自然」と芸術が相半ばして現れる状態である。それによって両者が相乗効果を上げ,「快く混乱させ,驚かせ,変化させ,境界を隠す」。それがこのコケットにおける「成功」の秘訣である。確かに「境界を隠す」という言葉が直接言及しているのは,庭園の外と内,自然と芸術を連続して見せる所謂「ハハ」の技法であろう。しかしそれは必ずしも両者の差異を消失させない。否,させてはならない。もしも消失すれば,両者の結合から来る「混乱」「驚き」「変化」も消失するからである。ここで「境界を隠す」のは,飽くまでこれらの対比を,一層際立たせるための一時的手段に過ぎない。更にこの自然と芸術の対比は,一節全体の構成に看取できる。ここでの各段落の主題を纏めれば以下のようになろう。第一段落=「感覚」第二段落=狭義の「自然」……広義の自然(女性・目的語・受動的)第三段落=「土地の精霊」…… 第四段落=「感覚」一見して明らかな通り,全体が第二段落と第三段落の切れ目を境にシンメトリーを……芸術……芸術!! (男性・主語・能動的)-622-

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