鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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パの新しい思想に共通してみられる知を超えた人間の直感や感性の役割ではなかったか。当時こうした議論が文学,哲学,芸術など様々な分野から出され,291では異なる分野が交差し,議論が重なったり,時には矛盾も見られる場合もあった。例えばアメリカとヨーロッパ,アメリカ超絶主義の楽観論と象徴主義の悲観論,人間の一般的な道徳論と社会を超える芸術家の意義などのテーマである。こうした議論を踏まえて,スティーグリッツは芸術家の精神的で神秘的な側面を強調し,彼らを形や色彩,線で表現する見者であり,改革者であり,科学者であり,真の意味での創造者ととらえるのである。そして,芸術家は自己の人生や芸術の目標を設定し,ヨーロッパ文化の拘束を脱却して,アメリカ人としての目標をよみがえらせる力をもつと考えるのであった。0初期モダニズムの画家たち291での展覧会活動を通じて,スティーグリッツは次第にアメリカの土壌に根ざした絵画を切り開く作家の指導と育成に努める。スティーグリッツの戦略は,単にヨーロッパのモダン・アートをアメリカ国内に紹介するだけではなかった。20世紀初頭のパリには,アメリカ国内の状況に不自由を感じて脱出したアメリカ人留学生が数多くいた。彼らは,ゴッホ,セザンヌ,ゴーギャンらの作品を見たり,フォーヴィスムのマチス,ピカソ,ブラックらとも会うことができた。そして,当然彼らは,このヨーロッパの爆発する革新的な造形性に深い影響を受けた作品を制作する。スティーグリッツは,こうした在パリのアメリカ人新進画家の作品を291に取り寄せて展示した。そうすることで,彼らに闘う本来の場を与え,その苦闘の姿を誰よりもアメリカ人自身に見せる必要があったからである。その中には,ジョン・マリン,マーズデン・ハートリー,アーサー・ダヴをはじめ,アルフレッド・モーラー,マックス・ウェーバー,エイブラハム・ウォルコウィッツといった画家がいた。彼らを含めた,モダニズムを志向するアメリカ人芸術家は,音楽家や著述家も集まる五番街のスティーグリッツのもとで,ヨーロッパで進行する新しい芸術やアメリカの状況などについて自由に語り合った。スティーグリッツは,こうした291での刺激的な交流を歓迎し,青年芸術家たちへの支援も快く引き受けている。しかし,他方で彼は,過去のアメリカ文化が繰り返してきたような,ヨーロッパの模倣や影響に甘んじる芸術家には深入りしない。なぜなら,彼の最大の関心は,「モダニズムにア-631-

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