2.平成6年度助成東郷青児の前衛体験研究者:茨城県近代美術館学芸貝小泉淳一本研究の主たるテーマは,日本のシュルレアリスム絵画の出発点として,東郷青児の帰国(1928年5月)後,阿部金剛と二人で開催した展覧会(1929年1月)に焦点を当てようとするものだが,ここ数年,筑波大学教授の五十殿利治氏による東郷青児に関する刺激的な論文があいついで発表され(注1)'束郷の滞欧以前から滞欧期の状況がかなり明らかとなってきており,その帰国後の活動を見る上でも,重要なポイントとなる事実関係の糸口が,見えはじめてきている。そこで,本稿では,五十殿氏の論考を踏まえつつ,東郷青児の滞欧体験を,その前衛的な側面にしぼって,整理し,跡付けておきたいと思う。もちろん,当初のテーマはこの後の研究に引き継ぐこととする。従来東郷青児の滞欧期の前衛体験は,マリネッティ率いる未来派の運動に巻き込まれたことを中心に語られてきた。それは,この画家が残したいくつかの回想的な文章(注2)において,彼の私淑していた有島生馬に紹介状をもらい,件のマリネッティに会いその運動に一時期加わっていたことが語られているところから発している。「未来派のマリネッティーをトリノに訪問したことがある。有島生馬先生の紹介状もあったが,思いがけない日本から,未来派を信奉する青年画家が米たということは,宣伝価値充分だったのだろう。ミラノ,ポローニア,フローレンス,ローマの宣伝旅行に引っ張り出されて,政党の地方遊説そのままの数日を送った。」(「私の履歴書」,『他言無用』;p.244)そして,これらの「政治的色彩が濃厚」な運動にすっかり幻滅を感じ,「地方遊説のこのばか騒ぎで,未来派に対する私の情熱は根こそぎ冷却してしまった。(中略)マリネッティー個人には腺敬の情を失わなかったが,未来派そのものとは,その後自然と遠ざかってしまった。」(同書;p.246) というように,彼の回想は続いてゆく。これは,帰国後彼が日本のシュルレアリスム1 東郷青児と未来派-645-
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