(2) 「ダダイズムと未来派」(1955年1月『美術手帖』90号)。「二科会における新興美月5日まで,日本経済新聞に連載)など。(4) 「東郷青児」(1979年『現代美術のパイオニア』美術公論社;初出は,1975年4月術の動き「私の履歴書」(1973年『他言無用』毎日新聞社;原文は,1960年8月12日から9(3) 詳しくは注(1)の五十殿氏の論考を参照のこと。『古沢岩美美術館月報』に掲載)。(5) この記事に続けて「音楽の都未来派音楽会」(11日)と題して,ルッソロのコンサートの模様の紹介がなされているので,「サロン・ダダ」のことに間違いないと思われる。また,この二つの記事については,五十殿氏以前に外山卯三郎氏による引用および考察が存在する(『日本洋画史第四巻大正から昭和初期』1980年,日貿出版杜;p.107,p.123)。(6) 『パリのダダ』でのサヌイエの主張するところ。(7) ギャラリー・ラファイエットの図案部に雇われてからは,ある程度の安定した生活が得られたと考えられるが,その時期は回想からは明確には限定できない。東郷青児美術館作成の年譜(1992年版,所蔵品図録所載)によると,1923年頃ニース支店で雇われ,翌年パリ支店に配属されたことになっている。東郷青児氏にきく(1)(2)」(1970年2,3月『現代の眼』183,184)。-653-
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