『1日訳仁王経』受持品第七(『大正新修大蔵経』No.二四五,巻八一八三三頁)所説の3.平成5年度助成有志八幡講十八箇院所蔵五大力菩薩画像の調査研究報告者:東京国立博物館研究員安嶋紀昭国宝本五大力菩薩画像の尊名比定と三幅の現状について諸先学によって従来,少なからず論じられながらも未だ絵画史上に確たる位置付けがなされていない名品の一つに,今回対象とした高野山有志八幡講十八箇院所蔵五大力菩薩画像三幅がある(以下「国宝本」と略称する。(注1• 2))。早くも明治四十一年一月旧国宝(昭和二十七年十一月新国宝)に指定されたが,周知の如く尊名や制作年代に議論の余地を多く残している。ところで,かつて濱田隆氏(注1⑧)は,その論考の末尾を「なおその制作年代を回る諸問題についてはさらに一層の科学的調査が期待されるものである。」と結んで後進を督励された。私はこの言葉に触れて勇気を発奮し,高野山霊宝館の深い御理解と暖かな御協力とを頂戴して,このほど同館主任学芸員井筒信隆師の御指導のもと,本図に光学的方法をも応用した詳しい調査を実施することができたのである。しかしこれら各種資料の検討にはさらに充分な時間が必要であり,紙数も限られているので,まず問題の一つである腺名比定について考察の方向性を示し,次に三幅の現状を述べて後日を期したい(注3)。ー,尊名比定について本図が,伝鳩摩羅什訳『仏説仁王般若波羅蜜経』(いわゆる『旧訳仁王経』(注4))諸説の五大力菩薩を一幅ー尊宛描き出し,『紀伊続風土記』(第二輯巻五十三•第五輯巻七)に記載ある,豊臣秀吉が金剛峯寺の前身である興山官寺に納めた東寺伝来の五幅対に相当し,さらに明治二十一年の山上大火でうち二幅を焼失したことは,すでに田中豊蔵氏(注1①)の御指摘に負う。各尊名と持物の関係は,以下のとおりである。I 金剛吼菩薩(千宝相輪)II 龍王吼菩薩(金輪燈)-655-
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