鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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•田中説(注1①)「十力吼」•国宝指定時「無畏十力吼」C 「唐摺本云々/真偽云何/請来未知」の注記ある図lll 羅網(左後)C尊(持物独鈷杵):・背書張紙「西方無量力吼」このうち国宝指定時の名称は,高野山普賢院所蔵紙本墨画五大力菩薩画像(昭和十六年旧国宝,現在重要文化財指定)裏書に拠るものであり,濱田氏(注1⑧)もこれを採用する(注6)。さて念怒形五大力菩薩図像の現存彩色本・白描本・版本21例の図像を,持物や印相,蹴足とその方向等に注目して仮にまとめたものが掲載の表である。今詳述は避けるが,試みに国宝本と同じく八輻輪と独鈷杵とを各持物にする二尊を含む作例を摘出すれば,次の八例に限定される。a 高野山北室院所蔵絹本著色五大力菩薩画像甲本(明治四十一年旧国宝,現在重要文化財指定(注7))C•dはいずれも東寺観智院旧蔵仁王経宝曼荼羅一巻(ニューヨーク・パブリック・ライブラリー所蔵,スペンサ一番号10(注9))のうちf 別尊雑記巻第十六仁王経所収(『大正図像』第三巻一九八頁)g 地蔵寺所蔵紙本版画五大力菩薩画像((注1④)参照)しかしこのうち,f別尊雑記【其の四】は中尊が四腎不動となっていて国宝本と大きく相違する。またaとd,Cとeはそれぞれ同種であり,bも前者の写し崩れと思われる。さらにgの地蔵寺はhの伝来した住吉神社の元神宮寺であるから,これらは大略三種類に集約される。次に気付かれる点はg.h以外の図像において,脇侍四尊の持物と配置が以下のように共通していることである。(中尊の右前に位置する)e 東京丹治竹二郎氏蔵本(『大正図像』第五巻七七四〜七七五頁別紙一八)2本b 興福寺所蔵絹本著色五大力菩薩画像(注8)d 「世流布/五大力/旧翻/経意/但経不/説方角」の注記ある図h 前記普賢院本ii 独鈷杵(右後)-657-

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