分がない代わりに激しく火炎が燃えて明らかに金輪燈を示している。火炎が強調されているdの描写にも同様のことが言えよう。従ってこの場合,「輪」は金輪燈を,「八輻輪」は五千剣輪をそれぞれ表わすものと考えられる。これらa■fに対し,g.h では「輪」が無く剣を持物とするので,「八輻輪」を金輪燈に規定する訳である。それではさらにこの二系統のうち,国宝本はどちらに属するのであろうか。ところでa■ fの系統で本格的彩色を施された大画面に,a北室院甲本がある。これは『高野春秋』巻五に,天長三年(八二六)空海が慈尊院で始修した大仁王会本尊画像である旨記載されていて国宝本の伝来とも所縁があるが,何よりもその肉身の色を検するに,中尊が青色,八輻輪を持物とする尊が緑色,独鈷杵を持物とする尊が黄色で,国宝本の体色と一致する点は興味深い。しかも立姿の二腺がいずれも右足を蹴り上げ,また中尊の宝冠の頂に独鈷杵や三鈷杵などを十字に組み合わせた特殊な装飾を付すことや,中尊の上牙を四本とすること等も,国宝本と北室院本に共通する特徴であって普賢院本には見出されない(注10)。もし国宝本が北室院本の系統に属するとするならば,その尊名も,B尊(八輻輪)を無量力吼菩薩,C尊(独鈷杵)を無畏十力吼菩薩と定めるべき蓋然性もあるが,冒頭に記したようにここでは考察の方向性を示すにとどめたい。二,三幅の現状三幅はいずれも掛幅仕立ての絹本著色画で,金剛吼菩薩は七副,他は五副で一鋪をなす。金剛吼菩薩の法量は縦321.4 (10. 61) X横235.9(7.79) cm(尺)を示す。絹巾は向かって左から1.3,47.3 (1.56), 46.3, 44.5, 46.6, 47.2, 2.7cm(尺)であり,画絹の組成は一平方センチメートルあたり経約四十二本(二本引き揃え)X緯四十八越を数える。厳密に言えば第一副の巾は0.8■2.6cm,第七副の巾は0.6■5.4cmと広狭があり,図様も火焔や蓮華座の端が切れていることを考慮すれば,過去の修理において左右をかなり切り詰めたことが想像される。蓮華座の横から噴き出す火焔の根元も残っており,元来は最大絹巾の少なくとも二分の一,すなわち約23cm前後はあったものと見られ,上下端もこれに準じて画面のさらなる広がりを想わなければならない。また現在は,近年の修理による補筆・補彩が巧妙に画面の損傷を隠蔽しており,第三副は蓮華座の大部分,第四副は下端から胸飾の宝輪の辺まで,それぞれ鈍い印象を受ける-660-
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