注14■15cm前後巾広であったと考えられる。のはこのためである(注11)。次にB尊の法量は,縦326.7(10.78) X横180.6(5.96) cm(尺)を示す。絹巾は向かって左から32.1,46.5, 46.0, 46.9 (1.55), 8.1cm(尺)であり,画絹の組成は金剛吼菩薩と同様である。図様の現状を鑑みればやはり,第一副•第五副は各々さらにさらにC尊の法量は,縦323.0(10.67) X横178.4(5.89) cm(尺)を示す。絹巾は向かって左から29.7,46.8, 47.0 (1.55), 46.6, 8.3cm(尺)であり,画絹の組成は他幅より僅かに密で経約四十四本(二本引き揃え)X緯四十八越を数える。この場合も第一副は17cm前後,第五副は15cm前後巾広であったと思われる。幸い無量力吼・無畏十力吼両菩薩に,大きな補筆補彩はない。このように実測される三幅(注12)は,絹巾やその組成密度で見る限りにおいてほぼ同ーであり,少なくとも画絹の調製は,同時になされたものと判断することができる。この点で国宝本三幅の異時制作説は,一つの弱点を負わざるを得ない(注13・14)。れた国宝本の制作年代を示す。① 田中豊蔵「野山の五大力菩薩の考」(『國華』第三六0号,國華社,一九二0年五月)【弘仁貞観期,平安初期】② 「金剛吼菩薩像」(『H本国宝全集』第七輯第一二九番,一九二三年七月)【平安初期】③ 「無畏十力吼菩薩像」(『日本国宝全集』第三十六輯第七ー0,七ー一番,一九二九年一月)【平安初期】④ 水原発榮「住吉神社本地仏五大力菩薩粉本に就て」(『東洋美術』第二十二号,飛鳥園,一九三五年十二月)⑤ 「五大力菩薩像北室院」(『日本国宝全集』第七十八輯第一五四二番,一九三七年十月)⑥ 松下隆章「無畏十力吼菩薩像」(『生活美術』第三巻第十一号,アトリエ社,一九四三年十一月)【藤原時代初期』(平成7年5月18日提出)(1) 五大力菩薩画像に関係する論文・解説類を次に列挙する。なお【】内は呈示さ-661-
元のページ ../index.html#672