(7) 北室院本の写真は,(注1⑮)を参照されたい。(3) 今回の調査によって得られた知見ならびにその総合的な検討結果は,鹿島美術財(4) 仁王経については中国偽撰説が強いが,ここでは直接論旨に関係しないので触れ(5) 国宝本にあるとして田中豊蔵氏の掲げる背書は,現在の幅裏にはなく,また井筒(6) 普賢院本の写真は,『大正新修大蔵経図像』(以下『大正図像』)第十二巻九四七頁,(8)興福寺本の写真は,『奈良六大寺大観第七巻興福寺ー』(岩波書店,一九六九(9) この白描図像巻は,『大正図像」第十二巻九三七〜九四0頁に抄録されている他,(10) これらの特徴は,金剛峯寺金銀字一切経(仁王般若経巻下見返絵五大力菩薩像)⑱錦織亮介「御筆本仁王経五方諸尊図考」(『哲学年報』第三三号,九州大学文学部,一九七九年三月)⑲ 頼富本宏「第四章第二節仁王経の流布」(『中国密教の研究』大東出版社,一九七九年十一月)⑩ 中野玄三「弘法大師と不動明王像」(『画像不動明王』京都国立博物館,一九八一年三月)一九八五年五月)四号,國華社,一九八九年六月)団の助成を銘記し,あらためて『東京国立博物館紀要』に資料写真と共に掲載したい意向がある。ない。(注2⑲)参照。師の御教示によれば高野山霊宝館にも別置されておらず所在不明の由である。もしくは(注1⑯)を参照されたい。年七月)を参照されたい。『仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書図像蒐成I』(一九九三年三月)に全貌が紹介されている。泉武夫氏の解題によればこの巻の成立年代は,長寛二年(一一六四)以降承安年間(-一七ー〜七五)以前の頃を目安にできる。にも見られる。この経巻は,永久五年(一ー一七)〜天治二年(一ーニ五)に藤原清衡が願主となって制作された,いわゆる清衡経の一巻である。写真は(注1⑳)を参照。虫損により,八輻輪と宝羅網以外の持物の不明な点が惜しまれる。@ 頼富本宏「仁王会と五大力菩薩」(『醍醐春秋』第五号,真言宗醍醐派宗務本庁,@ 中野玄三「仁王経曼荼羅の展開-664-新出白描図像への道程」(『國華』第一〇七
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