ヽいっ。着船の際筒払いをしたり〔図26〕する様子を描くのに呼応する。さらに同書第二巻は探険した土地の地理や動植物,農学等についての調査報告と地図になっているが,真景図にも島の側面図や航海図が含まれている。また『日本遠征記』の挿絵の多くが楕円状の枠内に描かれることと,四隅を埋め尽くさない「真景図」の景観描写との間にも関連が認められる。本書は万延元年に遣米使節を通じて日本に数部もたらされ,文久二年には翻訳『彼理(ペルリ)日本紀行』も刊行された(注20)。ここにはペリーが日本に向かう途次小笠原を探検した際の記録が見られる。そもそも巡見の実施はこの寄港を発端に島の占有権が争われたことに由来し,幕府の小笠原島政策には同書の記述の影響が大きいと同書はその内容が幕閣に衝撃を与えたのみならず,「真景図」の制作にも新鮮なアイディアを供給したと考えられる。画家はおそらく米国への対抗意識も胸に秘めながら,果敢にそれを取り入れたのであろう。(4) 日本的情趣の演出「時雨滝之図」〔図27〕と題する図か「真景図」中にある。父島内の滝の下で休息する九名の人々が描かれているが,そこにはさながら「高士観瀑図」の人物よろしく滝を仰ぎ見る人々もおり,ここが亜熱帯の島であることを示すのは数本の椰子の木のみである。奇しくも『日本遠征記』の挿絵に描かれる同島内の滝の図が,肌慣れぬ亜熱帯の気候の中,滝のほとりで日差しを避け水辺で涼をとる巡見隊の人々を描くのと好対照である。滝に魅せられた人々の口にふと上ったのは和歌かもしれない。というのは巡見に参加した目付服部帰ーの『南島航海日記』(『小笠原島記事拾遺』所収,国立公文書館蔵)十月十一日の項に「時雨滝」と題して和歌が一首記されているからだ(注21)。この日記には他にもこの亜熱帯の島を日本の風土に引き寄せて把握しようとする箇所が幾つか見られる。ペリーの遠征に随行した画家ハイネも,ロイド港(日本名二見港)の入江を上バイエルンやザルツブルクの内陸湖に例えるなど,島内の景観をこれまで見たものに例えて表現する(注22)。これは彼にとって天上の楽園と感じられる島の美しさをより純粋に表すための行為であった。一方「真景図」や『南島航海日記』に見られる日本的情趣への接近は,ハイネのそ-58 -
元のページ ../index.html#69