鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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イアは古代ローマの中でも地中海のアドリア海沿岸における地理的にも軍事的にも,そして交易面においても最も重要な植民都市になります。防備のために煉瓦造りの囲壁がめぐらされ,後年発見された碑文にはアウグストゥス帝時代の改築などにも触れられていたようで,この地にしばしば皇帝が居住していたことも判明しました。また住宅の床面に施されていたモザイクや,洪水による土砂の堆積の下から下水施設などが発見されたり,鉛を使った古代の修復痕もみられるそうです。ベルタッキ氏のこの講演の中心となった“アクイレイアの港”については,既述のように,北欧から地中海へ,また地中海からアルプスを越えて北方へ,という交易ルートになる海と結びついた川の港だったために,物資の流通経路として交通量も多く,アルプスの国々の関心も大いに集めたようでした。ベルタッキ氏は,こうしたアクイレイアの港の3つの遺構に言及して,「さらに将来,遺物の研究や発掘によって,新しい情報の得られることが期待される」と述べています。そして1988年の発掘調査によって,カエサル時代にも“アンフォラ運河”の治水工事が行われていたことも補足して報告されました。今なお,続けられている発掘調査によって,その他アクイレイアの街道沿いの墓地からも祭壇や墓碑,小神殿,石棺といった様々なタイプのモニュメントがみつかっており,その形象や装飾表現,あるいは墓碑銘に使用されている言語や刻字文から年代決定を可能にする生活習慣や都市生活の繁栄ぶりなども窺うことが出来ると,ベルタッキ氏は持参のスライドを併用して具体的な説明をされました。これによってなお一層古代のアクイレイアの地理的な位置の重要性が明確になり,講演後の専門研究者も交えた質疑応答にしても種々変化に富み,「アクイレイアの,当時地中海にはびこっていたといわれている海賊対策は,如何なものだったのですか?」といった質問まで出て,聴講者の方々もこれまでほとんど知ることがなかったこの地に関して,大いに興味を抱かれたようでした。さらに東京大学と早稲田大学の文学部専攻生および大学院生には,ベルタッキ氏が昨年(1994年)改訂版を出した『最近のアクイレイア」にまとめられている現在の“アクイレイア遺跡発掘状況”に加えて,やはり自らが行った町の中心をなすフォロ(公共広場)の発掘調査で明らかになった発展を示すその外域や防備のためにめぐらされた囲壁による要塞化,幾つかの公共建造物の集合体から全容を現した都市形体,そして貴重な初期キリスト教時代のバシリカ聖堂などについても紹介されました。-682-

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