注(3) 矢守一彦『古地図と風景」筑摩書房昭和59年,79頁(7) 4月10日付書簡(8) 川村博忠『近世絵図と測量術」古今書院平成4年,14■17頁れとは異なり島を巡る当時の政治的状況を物語るように思われる。すなわちこの巡見の目的は,これまで曖昧であった島の領有権を明らかにすることであった。そのために無理にでも島と日本を関連付けようとする意識が巡見使達の間に色濃く存在していたのではないだろうか。さらにこの図が明治初年の島の開拓問題の復活に関与したならばなお一層,小笠原が明らかに日本の一部であることを強く印象付ける必要があったであろう。こうしたいきさつを念頭に置き,図を眺めると,風景への視点は決して無色透明たりえず,その時々の政治や杜会を反映することを改めて実感させられるのである。おわりに本研究を終え,江戸時代後期の実景表現を空間構成の観点から眺め,その展開を地図的要素と絵画的要素の比重の変化に見ることが可能であり,「公余探勝図」がその転回点に位置しているとの確信を得た。これまで個別の作品紹介に止まってきた実景図研究の新たな切り口として今後も検討を続けたい。一方「小笠原真景図」の興味深い成立過程は実景表現の背後にある複雑な状況を物語っている。こうした作品の調査の積み重ねを経て実景表現の意味が明らかになるのであろう。マクロな視点とミクロなそれを行き来することによって,江戸後期の実景表現マップは初めて完成するのである。(1) 大阪市立美術館編『近世大坂画壇』同朋社出版昭和58年(2)岸文和『江戸の遠近法』勁草書房平成6年,15頁(4) 中村良夫『風景学入門』中央公論社昭和57年,95頁(5)鶴岡明美「公余探勝図とその周辺」(『古美術』105号)第三章参照(6) 3月23日付書簡(9) 3月25日付書簡(10) 前掲『古地図と風景』130頁-59-
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