ヽヽノ/ \ 浄土変相を絵画で表した例は敦焙壁画にも多くあるが,石窟庵のように立体的な仏像を配置した例はない。日本の東大寺が所蔵する具舎曼荼羅には,仏を中心に菩薩と羅漢,天部像が円形に配置され,また各像の名称が記されているが,これは石窟庵の円形配置と関連して注目されたことがあった。興福寺の中金堂と西金堂にあった丈六釈迦像とその脊属の配置は興福寺曼荼羅図に残っており,諸像の名称も知られている。とくに,西金堂にあったといわれる現存する乾漆造の八部衆と十大弟子像は石窟庵の像と比較できるものである。さらに正倉院文書によると752年に当時流行していた六宗の厨子が作られ,それぞれに菩薩,梵天,帝釈天,四天王,仏弟子像が描かれたといぃ,東大寺戒壇院にあった華厳宗の厨子の扉にも,梵天,帝釈天,四天王が描かれている。こうしてみると,八世紀半ば頃のH本では,各宗派によってそれに関連する図像が成立し,仏を中心に菩薩や天部,さらには羅漢を配置する図像が流行していたことになるだろうか。まず,石窟庵の諸像について検討したい。本尊は降魔触地印を結び,蓮華座に結珈践坐しているが,台座を含めた高さは5メートルにおよぶ。この本尊の名称について主室奥壁以下の図版は黄寿永(大西訳)•安章憲(写真)r石窟庵』(河出新社、1990)による。石窟庵見取図本尊釈迦仏北壁北壁平面配置図-691-| \
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