ヽノヽノ阿弥陀立像があり,その両側に菩薩頭がそれぞれ3艦ずつ,第2段に3艦,頂上に仏頭が1謳あって本面とあわせて11面になっている。しかし,頂上面は1960年の補修の際に修理したもので,光背のある仏坐像は図像的に誤っている。この像のような堪塔の形態で,左手に水瓶を,右手に宝珠をもつ菩薩像の例は,法隆寺の資財帳(719年)に唐の将来品と記される九面観音像を挙げることができる。しかし九面観音像は一条の天衣が体前をわたっており,石窟庵の像の表現とは異なる。このように複雑な嗅塔は隋代の長安派の彫刻に多く見られ,その伝統は敦燎壁画の隋・唐代に受継がれ,韓国では善山出土の三国時代の金銅菩薩立像から始まっている。円形主室の入口から一番目に浮彫された二天のうち,左手に五鈷の金剛杵を,右手に払子をもち,鐙をつけているのが帝釈天で,その反対側の梵天は右手に払子,左手に水瓶をもつ。これら梵天・帝釈天と図像的に比較できる中国の例は知られていない。法隆寺大宝蔵殿には塑像の梵天・帝釈天がある。細部の表現には相違があるが,端正でプロポーションのよい身体,とくに梵天の鎧の表現や宝冠の形態は石窟庵の像と類似性が認められる。この他に東大寺戒壇院の厨子(792年)の扉絵の梵天や,具舎曼荼羅に見える梵天も類例として挙げることができよう。梵天/ 帝釈天/ -695-
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