鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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定していないことに注意すべきであろう。とくに入口両側の2艦は他の像と比べて彫刻手法が稚拙である。これら八部衆は彫刻水準から3グループに分けることができる。まず,前室の左側の奥の竜王と乾闊婆,右側の奥から二番目の宝珠を口に衡えている像は,繊細な彫刻手法と柔らかい衣文の処理,さらに岩座の形態が本尊像と菩薩像および四天王像と同じ水準であるといえる。次のグループは,左側の入日から2番目の像と右側の2番目と4番目の像で,これらの像は若干硬直しており,左右相称的な衣紋,細部表現の省略などが特徴である。第3グループは入口側の左右2謳で,像高や制作手法の面から見てもっとも稚拙である。これら三つのグループの造像時期は異なると思われるが,とりわけ第3グループは極めて拙劣なものである。すなわち,石窟庵以降の統一新羅時代の石塔の基壇石には,陳田寺址石塔のように八部衆が表現されることが多いが,その多くには第3グループの像よりも優れた彫像技法が認められるのに対し,第3グループの彫像は十八世紀頃の石窟庵の補修の時に制作されたのではないかと思われるほど,非常に出来が悪い。中国では彫像の八部衆はなく,敦煙壁画に見られる程度で,敦煤321窟(686年)の阿修羅像,宝珠を口に術えている像などもあるが,その他の像は詳細が明らかでない。日本では,法隆寺五重塔の北面の八部衆や興福寺の乾漆造の八部衆が有名であるが,中でも三面六胄の阿修羅像と獅子冠をかぶった乾闊婆は石窟庵の像と図像的に類似している。主室の入口の両側には仁王像が配置されている。左右両像とも保存状態がよく,裸乾闊婆竜王北壁第三像天部阿修羅-698-

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