身の筋肉表現,衣の靡く表現,片手を持ち上げている動勢は当時の写実的な傾をよく表している。石窟庵からは日帝時代に行われた修理の際に,別の仁王像の頭部・腕・手が出土したが,その表現手法が現存の像より繊細かつ柔和で,主室の菩薩像や四天王像などの表現に類似しているため,これらの破片がいつ埋没したのかどいう問題に今後の検討が待たれる。石窟庵の主室の周壁には10艦の羅漢像が刻まれているが,おそらく十大弟子を表現したのであろう。これらは仏陀の脊属ではあるが,八世紀代の新羅の人物彫刻ともいえるが,羅漢像の名称と配置順を特定することはできない。興福寺の乾漆羅漢像は制作年代や表現様式から石窟庵の像と比較できるが,材料や形状に相違があるため,そ十大弟子より南壁5像仁王-699-
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