vヽ゜シンポジウムは大きく4部から構成された。最初はプリンストンの《十字架を運ぶとつの文化における風景画の諸相までも問題意識として取り込もうとする意図があったのだろう。日本絵画や中国絵画を専門とするわけではないが,わぎわざ日本という非西洋世界に属す筆者が招待されたのには,多少こうした事情があったのかもしれなキリスト》そのものについての詳細な技法的調査,科学調査などの報告がおこなわれ,ついで,「十字架を運ぶキリスト」という主題を中心に,主として形態の模倣と伝播の問題がベルギーの研究者セルクによって論じられた。また,この展覧会のもうひとつの見所となったいわゆる「ベルリン素描帖」に関する詳しい報告が,所蔵館であるべルリンのベフェールスによっておこなわれた。ついで,第2部では,プリンストン作品以外のヘリ・メット・ド・ブレスの作品についての報告が幾つかの所蔵館の修復家,あるいは,学芸員によってなされた。その後で開催されたプリンストン大学の美術史教授たちによる討論会は,この種の討論会の常としていささか議論がかみあわなかったという印象はいなめないものの,風景画に関する問題の広がりを浮き彫りにしたという意義があったというべきであろう。続いてヘリ・メット・ド・ブレスと同時代の16世紀フランドルの風景画家についてのさまざまな報告があり,クリストファー・ウッドやアインズワースの興味深い発表があった。筆者が発表したのは最終部であり,主として様式的立場からギブソンがヘリ・メット・ド・ブレスの17世紀における影響を論じた後を受け,図像学的立場から,異時同図表現の問題を中心に風景画における主題の問題を論じた。ファルケンブルフは筆者の議論をさらに推し進めるような形で,この時期の風景画の意味性と曖昧性について総括的な議論をおこなった。言葉の問題もあり,このようなシンポジウムを日本で開催することは容易ではないが,巨大資本が投下されるわりには一過性のものに終わってしまう展覧会という形式ではなく,こうした基礎研究めいたシンポジウムを通じて研究者同士のネットワークをひろげていくことの重要性が痛感された。今後,国立西洋美術館でもこうした活動の可能性を探っていきたいと考えている。なお,拙稿を含むこのシンポジウムの報告書は,ペトルス・クリストゥスのシンポジウム報告書と同じ叢書として,ベルギーのブレポルス社(Brepols)から1997年に出版される予定である。また,それとは別に,発表原稿に加筆した日本語論文が,国立西洋美術館研究紀要創刊号(1997年3月刊行)に掲載される予定であることを付記しておきたい。--707-
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