鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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とりわけ武家に支持者を広げていくことができました。2.狩野元信大徳寺大仙院障壁画・禅宗祖師図襖1513年京都の禅寺大徳寺の塔頭大仙院の襖に描かれた禅宗祖師香巌(きょうごん)の故事図で,作者は正信の子,狩野元信です。1513年の作画と推定されています。寺の門前を審で掃いていたら石が飛んで竹に当たり,カーンというその音を契機として香巌が悟りを得たというその瞬間を描いたものです。有名な宗教的な逸話が,分かりやすく叙事的に描写されています。主人公の人物も,周囲の環境も正確な筆致で明晰な形が与えられており,曖昧な表現にごまかしているところは少しもありません。3.狩野元信大徳寺大仙院障壁画・花鳥図襖1513年同じ大仙院の別の部屋に描かれた元信の花鳥画です。空間の奥行きを極端に圧縮して,近景の花や鳥を大きく,また明る<華やかな色彩で強調して描いています。部屋の四方の襖や壁を飾る障壁画に,奥行きよりも左右への展開を重視した,力感と動勢に富む大画面絵画様式を確立したのでした。こうした狩野元信の,正確な描写力,豊富な主題の表現力,活気にあふれた魅力的な構成力は,武士階級のみならず,上は天皇の宮廷から下は新興の町人階級に至るまで幅広く支持されることになります。狩野派の基盤は,この2代目の元信によって,確固として揺るぎないものとなったのです。第二期安土桃山時代16世紀後期から17世紀初期4.狩野永徳唐獅子図屏風16世紀後期1568年,新しい支配者織田信長が京都に進出してきてまもなく,足利幕府は滅びます。そして,群雄割拠の戦国時代に終止符を打ち,全国を再統一しようとする機運が急速に高まります。信長の後は,その家臣の豊臣秀吉によって受け継がれ,ついに天下の統ーが実現します。信長や秀吉に代表される英雄の時代,安土桃山時代には,元信の孫の狩野永徳が登場しています。永徳は,絵画界の偉大な英雄といって良いでしょう。彼は,すでに早く元信によって方向を示されていた力強い大画面絵画様式を,さらに豪華絢爛としたものへと発展させました。強い力を持つと信じられた唐獅子や鳳凰といった空想上の霊獣や霊鳥あるいは,松や檜といった大きな木や牡丹や菊などの華やかな花を原色的な色彩で彩色し,金箔地の画面いっぱいに展開させる,豪快で華麗な装飾画によって,その時代の英雄や,英雄的な気性の人々(その中には公家も町かのうもとのぶだいとくじだいせんいんかのうもとのぶだいとくじだいせんいんかのうえいとくからじし-723-

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