注図その他に,杉林古香が浅井の図案にしたがって制作した《牽牛花蒔絵手箱》も光琳の傑作《八橋蒔絵硯箱》に倣ったと思われる。浅井の蒔絵図案にあらわれている光琳の影響は,西川一草亭をはじめ,『小美術」の同人たちによる意匠家としての光琳の再評価につながる。「図案家としての光琳」(『小美術』5号明治37年8月),「光琳会の記」(『小美術』同上),「蒔画論」(『ホトトギス』第11巻2号,明治40年11月)などの文章では一草亭は,蒔絵の歴史における光琳の役割を論じ,浅井と古香によって光琳の芸術が復活したと主張している。浅井は光琳の線についで,図案によく合うのは,ジャポニスムによって再認識された浮世絵の線だと「図案の線について」に書いている。たとえば,浅井の《蒔絵額盆図案》(『黙語図案集』)は栄之,歌麿などの女三之宮を見立てた版画にならった。そして,浮世絵の他に,浅井は大津絵にも大変な魅力を感じ,蒔絵図案のために大津絵から自由に翻案したものが多いのである。古香が浅井の図案にしたがって制作した《大津絵画替り菓子盆》(10枚,写真は杉林家蔵)に長刀弁慶,鷹匠,座頭,雷太鼓つりなど,大津絵の図柄の十種が描かれている。日露戦争当時の社会を大津絵に見立てて戯画的に描いた《今様大津絵》(蒔絵巻煙草箱)もある。ここで簡単に紹介した浅井の蒔絵図案はほとんど杉林古香によって漆器になった。調査で確認できたかぎり,漆器32種(65点)に,杉林家に浅井の蒔絵図案のみ(制作品は不明)が残っているのは30点以上もある。古香の他に制作者が戸島光字(2点),岩村光真(1点),迎田秋悦(1点)などである。その中には,今まで印刷図案,陶図案あるいは日本画と考えていたものが蒔絵図案であることがわかった。その上,『黙語図案集』に収めている蒔絵図案30点,漆器5点の中には杉林家に保存されていない図案が11点もある。これらの数字は今まで推測されていた浅井の図案による漆器の数を大幅に越えている。(1) 浅井忠とジャポニスムの関係について初めて本格的に調べたのは芳賀徹氏(「浅井忠とアール・ヌーヴォー」,『絵画の領分・近代日本比較文化史研究』朝日新聞社,昭和59年,pp.324-351)である。この問題については拙稿「巴里の浅井忠案へのめざめ」がある。(2) 京都市工業試験場主席研究員の佐藤敬二氏の調査によって,杉林古香の遺族に保-734-
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