鹿島美術研究 年報第13号別冊(1996)
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゜今回の私の報告は,全国の懸仏の中から在銘の懸仏を抜き出し,基礎的なデータベVヽ2)在銘懸仏の概要12世紀(1156■1200)4点13世紀(1201■1300)41点14世紀(1301■1400)42 点15世紀(1401■1500)32点16世紀(1501■1600)46点17世紀(1601■1700)30点18世紀(1701■1800)8点19世紀(1801■1900)6点3)懸仏最古の記年銘明確な基準作があるわけではなく,その制作年代の比定法も確立しているとは言い難ースを制作し,その雌像の図像に注目し,時代的な変遷を考えていくものである。今回データとして最終的には300点を越える在銘懸仏の資料を収集したが,精査した結果,現在行方不明になっているもの,銘と作風が極端に合わないもの,尊像が欠失して鏡板のみのもの,写真資料か手に入らなかったものなどを除き209点の懸仏の資料を基礎データとして使うことにし,その中から特に今回の報告において重要であると思われるいくつかの作品を実見し,詳細な調査を行った。今回の資料収集の過程で驚いたのは,想像以上に所在不明あるいは破損された懸仏の多いことである。先程述べたように神仏分離の際に壊され破棄されたものさえあった,という懸仏の不遇な歴史の一面を改めて見た思いがした。その基礎データの詳細は紙面の都合で省くが,年代別の点数は次の通りである。懸仏の中で最も古い記年銘のあるものが島根県宮嶋神杜蔵の地蔵菩薩懸仏である。直径20.9センチメートル,鋳銅製の円形鏡板に,銅板を打ち出し半肉彫りとした地蔵菩薩坐像を鋲留めしている。鏡板の背面には懸垂するための素紐を作り出しているが,周囲に覆輪はめぐらしていない。像は二重光背を負い,右手は施無畏印にし,左手は腹前で宝珠を執り,蓮華座に坐る。一枚の銅板で像,台座,光背を打ち出しているが,頭部以外はほぼ平面に近く線刻で表現する。それに反して頭部は立体的に打ち出したために銅板か薄くなっているほどである。そのためか鼻が一部欠けている。鏡板の裏面には「保元元年丙子十二月日」と陽鋳されている。保元元年は1156年である。かつて『考古学雑誌26-5』に掲載された「懸仏記銘年年表」(注1)にはこの年より古い記年銘のある懸仏か2面紹介されているか,2面共に現在所在不明であるので,-76 -

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